河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

352- ベレゾフスキー&モスクワ・フィル 1991-9

2007-07-18 20:29:00 | コンサート・オペラ

1_1241991年の来日演奏会のことを書いています。
生で聴いたものからピックアップしています。
記録的な網羅ではありません。

1990年のチャイコフスキー国際コンクールの優勝者はこんな感じ。
ピアノ、ボリス・ベレゾフスキー
ヴァイオリン、諏訪内晶子
チェロ、グスタフ・リヴィニウス
声楽(女性)、デボラ・ヴォイト
声楽(男性)、ハンス・チョイ

ということで、今も盛りの人、知らなくなってしまった人、などいるわけだが、このうちピアノのベレゾフスキーと、チェロのリヴィニウスが1991年モスクワ・フィルのソリストとして来日同行した。
リヴィニウスはモスクワ・フィルとは1回しか演奏していないので、単につじつま合わせのような感じだ。
ヴァイオリンは諏訪内ではなく、なぜか、アン・アキコ・マイヤースが協演。結局、ベレゾフスキーとマイヤースが精力的に協演した。

例によってソ連のオーケストラの公演回数はとんでもない。

1991年5月
10日(金)ザ・シンフォニーホール
11日(土)名古屋市民会館
12日(日)東京芸術劇場
13日(月)聖徳学園川並記念講堂
15日(水)オーチャードホール
16日(木)上越文化会館
17日(金)伊勢原市民文化会館
18日(土)東京芸術劇場 ●
19日(日)常陸大田パルティホール
22日(水)山梨県立県民文化ホール
24日(木)東京芸術劇場
27日(月)鳥栖市民文化会館
28日(火)熊本県立劇場
29日(水)新居浜市民文化センター
30日(木)松山市民会館
31日(金)徳島市文化センター

●は河童潜入

16回公演。よりどりみどりといった感じ。
ベレゾフスキーが7回協演。
マイヤースが7回協演している。

指揮は、
マルク・エルムレルが12回
マリス・ヤンソンスが4回

どれを聴こうか。どれを聴いても、当たりはずれ、といったレベルの話ではなく、聴いた聴かなかった、という違いだけのような感じ。それなら場所日程で選ぼう。


第9回チャイコフスキー
国際コンクール記念
スペシャル・コンサート

1991年5月18日(土)18:00
東京芸術劇場

ショスタコーヴィッチ/祝典序曲
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第6番

ピアノ、ボリス・ベレゾフスキー
マリス・ヤンソンス指揮
モスクワ・フィル


ベレゾフスキーはチャイコフスキーコンクールで汗だくになって演奏していた姿が、当時NHKかどっかで映像が流れて、その真摯な姿勢にいたくうたれたものだ。
あまり器用ではないけれども、音楽に対するひたむきさに心をうたれたものだ。
今日は聴く方としては満を持してのラフマニノフだ。それも3番だ。
ラフマニノフの揺れる船のような入りのフレーズがベレゾフスキーのピアノを待つ。
ベレゾフスキーの音は太い。マッチョな太さではなく、骨太な感じ。それが無骨な雰囲気を醸し出すのかもしれないが、鍵盤の押しが深い感じで一つずつの音がしっかりと響く。
透明感というよりもグレーで太くてマフラーのようなサウンドが着実な足踏みでホール全体を包む。いい感じだ。
音楽の作りは第1,2楽章ともにあっさりしたものだ。特別な思い入れはなく、作為的な表現は全く感じられない。変な作りがないので、聴く方としてもラフマニノフの音楽に集中することができる。この新人の腕を心配しながら聴く、などという配慮は全く不要。音楽を聴かせてくれる新人だと思った。
第3楽章にはいり、モスクワ・フィルはジャンプするマリスとともに伴奏とは思えない迫力と音圧でホールを鳴らすが、ボリスのピアノはそれに負けることなく究極のエンディングをむかえた。ド迫力。

悲愴の第3楽章が終わったところで誰一人拍手をせず、シーンとしていられるのは、この世で日本人だけと今でも信じている。そしてそれはいつも証明される。
アメリカだと拍手ですめばいいほう。曲が終わったと思って帰る人もいる。
いまもそうだが、当時、マリス・ヤンソンスは元気でアクションが大きく、それでいてオーケストラ全体を見渡して棒を振るようなところがあり、あれはあれで納得できるものだった。
ジャンピングしてオケを左右見渡す余裕があり、見られているメンバーとしてはこれまた思いっきり演奏しなければならなかったことだろう。
モスクワ・フィルの悲愴は、らしからぬ線の細さというか肉太のロシアというよりも、線は細くはないのだが、きっちり線をそろえてくるしたたかさがある。悲愴のふくらみは音圧によるものというよりもむしろ、少し作為が感じられるものの線をそろえたフレーズがふくよかに歌われるためであると思われる。
第3楽章にしても爆発的なブラスの盛り上がりもあるが、全奏が見事に決まっている結果である。ヤンソンスはアンサンブル重視のタイプだと思う。ジャンプのなりとはちょっと異なる作りだ。人は見かけによらない。
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昔はブラバン定番のショスタコーヴィッチの祝典序曲は、オーケストラの生演奏ではやられていそうでそんなにたくさん演奏されているわけでもなさそうだ。すっきりしたいときはこれを聴くに限る。なにも考えず音を浴びる。
ヤンソンスの場合、序奏の3拍子は、ブラスがブラバンみたいに太くうるさく鳴らすこともなく、いたって遠慮気味に細くアンサンブルされる。あとは、モスクワ・フィルの腕達者な連中のブルンブルンとうなる腕にまかせておけばよい。聴く方もそれで満足だ。
ということで、ソ連のオーケストラは外貨稼ぎのためか、いつも異常に演奏会の回数が多いが、好不調といったあたりはずれの部分であまり心配することもなく聴くことが出来て安心だ。純粋にロシア音楽、音の響きを楽しみたいものだ。
おわり


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