ワシーリー・グロスマン著
齋藤紘一訳
亀山郁夫解説
みすず書房3800円
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冬季五輪が開かれたソチは、元来はチェルケス人という少数民族の地であった。本書はスターリンの死後、30年の収容所生活から故郷ソチにもどってきた知識人イワン・グリゴーリエビッチからみたソ連をめぐる思想小説である。
自家出版として書かれたが、日本では1972年にソ連抵抗文学として紹介された。反スターリン的な風潮の中で、一歩踏み込んだレーニン批判として評者は読んだが了解可能だった。中でも30年代飢饉(ききん)の鬼気迫る記述はその後の仕事にも参考になった。ちなみに本国で公開されたのは89年、レーニンを疑い始めたソ連崩壊直前であった。
再読してレーニンの思想の根源にロシア独自の運命があったというグロスマンの省察までは読めていなかったと反省している。レーニンと正教異端派である古儀式派(アヴァクーム)の思想的関係までは日本では誰も理解しなかったのではないか。革命の帰結がなぜ収容所なのか。破壊と建設、専制と革命、欧州とアジア、ロシアは逆説の国である。だが自由だけはなかった歴史的運命から37年のテロルをも思索する。
圧巻は密告と裏切り、そして倒錯としての同性愛まで生み出した収容所世界の記述である。同性愛を巡る今の欧米からのロシア批判がいかに的外れか。だが釈放され自由となったはずの市民生活でも人々は恐怖ゆえに自己規制したと、フルシチョフ自由化の逆説も示唆する。
レーニンの中にあるロシアの正教と異端、歴史的な文脈の問題は、今ようやく理解されだした。ただ自由なきロシアの悲劇性に問題の根源があったという主題それ自体はソ連崩壊後は陳腐に響く。問題はレーニンやスターリンだけでなく、平凡な「ユダ」たちの保身と裏切りにもあった。ナチズムの基盤に獄吏アイヒマンのような凡庸さを見出したハンナ・アレントにも似たまなざし、「日常的なスターリニズム」の問題でもある。違っているのはその考察の行き着く先が「流転」という言葉が暗示する諦観なのか、それともロシア的悲劇への歴史的問いなのか、それへの解答は21世紀の今もない。
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・著者は05年生まれ。ウクライナ出身の作家。著書に『人生と運命』など。64年没。
・評 法政大学教授 下斗米伸夫