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933- カプリッチョ 二期会公演 沼尻 2009.11.22

2009-11-23 14:53:17 | インポート

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リヒャルト・シュトラウスのカプリッチョを初めて観た。

感想の前に苦言を一言。

今日のプログラムは非常に問題だ。

曲のことではない。1,000円で買うプログラムのこと。こんなことは今まで記憶がないが、この千円プログラムにはあらすじが載っていない。目次には4,5ページにあらすじ、と書いてあるが正しくない。正しくは5ページ目に英語!の要約があるだけ。

他には、観る前に、とか、楽曲解説などで、ABA形式がどうのこうのとか、いろいろ書いているが、場面を飛ばしたりして書いているので、単なる分析に近い。

曲のあらすじや登場人物のことが全く書かれていない。歌い手の紹介がいきなりでかでかとあり、あちこちでなんとか賞をとったとか、そんなことばかりだ。

誰が作ったんだろう。このプログラム。

一方、この公演がはじまる前に、めったに演奏されないこのオペラを観ないのは文化国日本人の恥さらしみたいな郵便が届いて、売れていない席をAB席という折衷案で安く売るので買ってくれと、それも2回も舞い込んできた。

そこまで入れ込むなら、まず、曲の紹介からはいるべきだと思います。そうでなくても曲のあらすじ紹介からはいるべき。しかし、このプログラムには、上下左右前後四方八方どこをさがしても書いていない。何を考えているのだろうか?

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劇場入り口の花束コーナーに揃った数名のおば女性たち。はいってくる客たちを眺め舐めまわす関係者たち。。どうも、一大イヴェントの雰囲気、まるで、内輪の会、のよう。学芸会的な様相を呈している。

売りさばいているプログラムの内容から場の雰囲気まで、内部関係者用のオペラ発表会みたいだ。企画から興業までのご苦労はある程度分かるが、年に一回もしくは数回のイヴェントにありがちなことで、みせる方向が内向きであり、言葉としてはふさわしくないかもしれないがオペラ公演が常態化した姿を見せてほしい。素人集団ではないんだから。。

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ということで、今回は非常に前味の悪いことがいろいろとあったが、肝心な中身は?

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20091122()2:00pm

日生劇場

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シュトラウス/カプリッチョ

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マドレーヌ、佐々木典子

兄、初鹿野剛

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フラマン、望月哲也

オリヴィエ、石崎秀和

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ラ・ロシュ、米谷毅彦

クレロン、加納悦子

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ソプラノ歌手、羽山弘子

テノール歌手、渡邊公威

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プロンプター、大川信之

ジョエル・ローウエルス、プロダクション

沼尻竜典、コンダクティング

東京シティ・フィル

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2部構成で後半の8重唱、そして2度目の出現となる月光の音楽、寄り添う踊り、ロースウエルのプロダクションが自己主張をはじめる。マドレーヌは杖をもったおばあさんであらわれる。舞台となった部屋、居間、客室は、舞台奥に後ずさりし、同時に壁が動き始めその部屋を閉じる。最初で最後の動き。そしてマドレーヌのややかなり長大なモノローグと、これまた長く尾を引く音楽がこれでもかと余韻を残しながら最後はスタッカート気味にちょんと終わる。

そもそもカプリッチョは初めて観るのでどのようなプロダクションがあるのかさえも知らないなか、これがどういう意味かはわからないが、このあといろいろと皆さんのブログを拝見するのが楽しみでもある。

過去はさらに過去に消えていく、しかし、その問いと答えは永久に謎なのか?片方がなければもう一方も残らない。

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詩か歌か。

このオペラの印象としては、どの場面を切り取ってもその切り口から見えてくるものは、詩か歌か、いつもこの問いが発せられているようで、なんだか場が進まない。場は進むのだがそれは副次的要素としての印象が大きい。プロンプターの位置からプロンプターが出てくるので、その二重構造性が見えたりするが、あまりに唐突過ぎて違和感もある。

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そもそもカプリッチョとは?

その昔、キリル・コンドラシンの棒、RCA交響楽団によるチャイコフスキーのイタリア奇想曲というのがあって、これカプリッチョのはず。最初から最後まで破天荒な曲を見事に表現したコンドラシンの棒。音の爆弾と化したチャイコフスキーとは異なるものの、方向性は似ていなくもない。気まぐれなオペラなんだろうか。深層はまたあるに違いないが、初見の感想としてはこんなもんだ。

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シュトラウスの場合、管弦楽もそうなのだが、私のそれまでの作品を知ってて観て聴いて、というものがあり、このオペラの場合もシュトラウスのそれまでの作品スタイルを知っていないとなかなか理解が進まないところがあるように直感的には思える。

さらに最初の六重奏は、プログラムの楽曲解説によると、調のことを少ししつこく書きすぎている面もあるが、ABA三部形式だそうで、僕には、シュトラウス自身の音楽以外の転用、ここではグルックのイフィゲニー序曲冒頭の節がずっと鳴っているように聴こえる。

ちょっと横にそれるが、このプログラム楽曲解説によると、幕が開く前から六重奏が奏され、開いた後もそのまま続くと書いてある。今日のプロダクションは音が鳴る前に幕が開く。そこから音楽がはじまるので、この記述は誤りで、演出により違いがあるのであればそれはコメント等で付記すべき。コメントしている個所もあるので編集者が見逃しただけなのかもしれない。ほかの個所においてもこの楽曲解説全体が、あらすじ、登場人物紹介などが欠落したプログラム冊子では劇中のプロンプター登場と同じぐらい唐突過ぎる。

いずれにしても、シュトラウスのこのオペラを観る前にいろいろと前提を理解していればさらに楽しめるという部分はありそうだ。

登場人物の立ち位置は明確でわかりやすいもの。人物がそれぞれ対になっているので明瞭。また、対のアンサンブルもバランスよく動きもこなれている。

マドレーヌはどうもしゃくりあげる歌が気になる。ほかの登場人物の会話が日本語的で抑揚がない。フラマン、オリヴィエの歌唱は双方ともに響きがあり聴きやすい。みんな自分の役をこなしており、手さばきなども余裕があり、歌がないがしろにならない。

8重唱は非常にバランスのいいもので、今日のいいところの典型的な部分か。アンサンブルが見事であった。

マドレーヌも後半になるとその役柄に重ね合わさった心情が表出されるようになり、歌わずとも存在感が増してくるというオペラならではのだいご味がでてくる。

2部の踊りは動きのない第1部の延長にならないような配慮か。観ているだけで楽しく美しい。最後の月光の音楽とともに踊られるアクセントの妙。

この月光の音楽、ホルンが少し機械的、譜面づらばかり追いかけているせいなのかどうか無機質、テンポをぐっとおとして欲しいところだが、ここであまり落としてしまうと、マドレーヌのエンディングがもたなくなりそうな気配があるので、指揮者の沼尻も前後配分をみているのかもしれない。

シティ・フィルの木管の情感アンサンブルは今一歩だ。楽器によってはブラバンみたいな響きもあったりしたようだ。ブラバンは下のレベルということではなく、ウィンドが弦の代わりをしている部分があるブラバンと同じようなスタンスで吹いているんではないか、といったところがある。オケピットの右にホルン、ウィンドは左ということで一番遠いところに座っていたが、これでは合わせにくいだろう。カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ公演でこけら落しをしたこのホールも時代の波で隔世の感がある。その寸法にあったオーケストラ、歌サイズでちょうどよかったのかもしれない部分はある。その割には大人数のオケではあったが。

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一度の休憩をいれて2時間45分のへヴィーなオペラ。休憩なしで上演されたら聴くほうとしては少し辛いかもしれない。冗長感は否めない。

指揮の沼尻は人生行路的にはオペラの勉学中だと思うが、レパートリーシステムはおろか、オペラ公演そのものが一年に数回のイヴェントでしかないようなところばかりで振ることに満足していないのではないか。

4日連続でレア作品を振れるなんて、一番こやしになっているのはこの人に間違いないところではあるが。

おわり

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