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2009-2010シーズン聴いたコンサートより
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2009年11月7日(土)14:00-16:20
浜離宮朝日大ホール
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<2009年モーツァルト劇場公演>
プーランク モノオペラ≪人間の声≫
(日本語公演)
ソプラノ、高橋照美
ピアノ、徳田敏子
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オッフェンバック
≪チュリパタン島 愛の賛歌≫
(日本初演) (日本語公演)
カカトワ公爵22世 蔵田雅之
息子アレクシス 鵜木絵里
家老ロンボイダール 鹿又透
妻テオドリーヌ 押見朋子
娘エルモーザ 小貫岩夫
女中 磯辺絢子 光村舞
召使 栗原光太郎 田中研 松井永太郎
カカトワのお付き 土居愛実 山田文子
カカトワの従卒 佐々木典
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指揮 時任康文
モーツァルト劇場管弦楽団(5人)
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レアなオペラ2題。シリアスなオペラと喜歌劇。
後半のチュリパタンが1時間を越える喜歌劇で、乗ってくるにつれ、前半のシリアスな人間の声は前座みたいなものだったなぁと思えたりもしたのだが、舞台が跳ね、近くにある築地場外を散歩し、寿司屋に寄り、こんな場所なのに酷いまがい物を喰らったあとに、今日のオペラのことを改めて思い出してみると、やはり人間の声のほうのレベルが格段に高かったのだなぁと思わずにはいられない。
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歌い手は前半後半ともに性格的表現も含め非常に秀逸。特に後半は曲を凌駕していた。
ということで。
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前半。
ジャン・コクトー原作、フランシス・プーランク作曲
モノオペラ人間の声。
総監督そして訳詞を行っている高橋英郎さんの説明によると、「この作品をオーケストラでなく、ピアノで演奏しようという意見に私は賛成である。オーケストラの厚い音が死の恐怖をかり立て、デリケートな会話を消してしまう。」
とある。
プーランクはこんな誰にでもわかるような話を知らないでオーケストラ伴奏をつけてしまったのだろうか?
どうしてこんな簡単な話になってしまうのだろうか?非常に簡単にすぎる疑問だ。今日のピアノでも十分うるさかったと思うのだが、オケ伴でやってから言って欲しいものだ。
このモーツァルト劇場というのは1983年に始まっているようで、その演奏曲目を見ると多彩。そして人間の声も1999年と2002年に上演されており、今日のはそれに続くもののようだ。前2回については接していないので全く知らない。オケ伴だったのかもしれない。試行錯誤の結果なのかなぁ。
日本語公演であるため、日本語に訳した場合、ピアノ伴奏のほうがいいというのかもしれない。
とにかくオーケストラ伴奏のような多彩な響きが無いため、モノトーンのモノオペラになってしまったといえなくもない。
【あらすじ】
5年間も愛し合った末に棄てられた女が、睡眠薬自殺をはかる。1ダースも飲んだが死ねなくて、目覚めたあと、相手の男からかかってきた電話で、次第に現実が蘇る。愛されるあてもなく、悶え、笑い、嘆き、いたわり、偽り、虚勢を張ったりするが、いよいよ別れの時が来て、電話のコードを首に巻いて相手の声を聞きながら「好きよ、好きよ」と思いのたけを叫んでこと切れる。
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といった筋で、昔の交換手のいるころの話、混線、断線、など日常的、そのような味付けの中で電話の先の男を思い、そして最後は電話線を首に巻いて死んでしまう。
このようなシチュエーションにもかかわらず、今日のソプラノは指輪をしており、これはどうゆうことなのだろうか?非常に邪魔。不倫の話に置き換えてしまったのだろうか。緻密で濃厚な語り、歌いなのに、たった一つのことが気にかかってしまう。
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日本語訳のオペラはあまり聴くことは無いが、外国語のイントネーションはそのままにして日本語で歌われる違和感は語りも含めてあまりなかった。抵抗なく受け入れることが出来た。
40分以上かかるオペラを、全く自分のものとして滑らかに歌いきれる素晴らしさ、安心して聴いていられる分、オペラそのものに集中することが出来る。ピアノ伴奏も含め非常に技術レベルの高いものであり、その先にあるシリアスな劇に踏み込んでいる。
電話の先の相手の男が見えるようなこちらのモノローグ。
言葉の表現は原語と字幕ではあまりうまくいかないのかもしれない。日本語で微妙なニュアンスをやりつくすというのは必然で自然。
歌はドラマティックなものであり、表現、ニュアンスもよく、一人で歌っているのに相手がいるような立体感、奥行き、深堀りされた劇、こなれた表現。現実離れしているが、共感をよぶ。深いものであった。
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オーケストラ伴奏のCDはこれで。
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後半。
オッフェンバック作曲
チュリパタン島 愛の賛歌
【あらすじ】
公爵の娘。息子として育つ。
家老の息子。娘として育つ。
この息子と娘。最終的には娘と息子に戻ってハッピーエンド。
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日本初演。日本語公演。
性格的な歌と演技が完全にきまっている。
まるで何度もこのメンバーで上演したことがあるような非常にこなれた舞台だった。
大がかりな舞台装置はなく、500人程の室内楽ホールで5人のオーケストラが客席右前方でつつましく鳴らしながらの舞台。その上で自由自在に動き回り歌いつくす。
歌いくちが一番気に入ったのが家老ロンボイダール役の鹿又透。指揮者のほうに目をやる回数が一番多いながら、歌の正確性が極めて良好で喜歌劇にありながら、要所をきっちり引き締めていたと思う。その妻役の押見朋子さん。この人がこのオペラで最初に現れ声を発するわけだが、存在感十分で、歌う前から喜劇と分かる。
カカトワ公爵22世は、饒舌が饒舌を生み、あたしゃ歌よりも喋りだよ、みたいにものの見事に流暢に場が進んでいく。この3人極めて性格的で、当たり役というにふさわしい。楽しめた。
娘役の小貫岩夫、息子役の鵜木絵里。体格があまりにも男然女然としていて、特に娘役のほうはノリが過ぎ、女をはるかに越えている。でもまぁ、歌のみならず動きも流れつくすのでこれはこれでお見事。
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オッフェンバックはこの種のオペラのようなものがたくさんあると思うが、それこそこのようにしてみなければわからないし、ドタバタで字幕では追い切れないような個所も多そうで日本語の上演は成功だろう。劇の内容が明白なので歌の部分より科白のほうが重要でポイント。歌の聴かせどころは特にない。
次から次と音楽が走り続け、暗さなどまるでなく、軽快な音楽がリズミカルに駆け巡る。その瞬間瞬間の面白さは大変結構なものだ。
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今日の2題を同じ日に見たいとはあまり思わないが、双方再度上演があれば必ず観に行くだろうと思う。
おわり