河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

585- レナード・バーンスタイン アメリカン・オリジナル

2008-03-30 21:52:30 | 音楽




今年のレナード・バーンスタイン祭りに合わせるタイミングで新しい本が出るようです。
まず、お祭りのほうですが、以下に書きました。

511- バーンスタイン祭り=1=

521- バーンスタイン祭り=2=



本はお祭りの前に出るようですね。誕生日がありますから。

・タイトル
「レナード・バーンスタイン
 アメリカン・オリジナル」
・サブタイトル
「現代復活の立役者バーンスタインは、1943年から1976年までのニューヨーク・フィルハーモニック時代に、音楽、世界をいかに改革したか。」
・Collins,0061537861
・発売 2008年8月19日
・価格 29ドル95セント

珍しい写真などが100枚以上。
次のような人たちのエッセーも。
ジョン・アダムス、ポール・ボイヤー、ジョゼフ・ホロヴィッツ、ジェイムズ・ケラー、ビル・マグローリン、キャロル・オーヤ、ティム・ペイジ、アラン・リッチ、ジョナサン・ローゼンバーグ。もちろん、バーンスタインの弟バートンによる回顧もある。
バーンスタインは常にアメリカ文化の第一線にいた。ブロードウエイやシンフォニック・オーケストラのための曲作り、オーケストラに最初に女性を雇ったり、アフリカン・アメリカンの権利を守ったり、音楽教育を促進し、新進の作曲家や作品を擁護した。
また一方でバーンスタインは、社会的政治的文化的変革の発端になるようなことをする強烈な力をもっていた。
高名な作家や歴史家、ジャーナリストなどの尽力はもちろんのこと、バーンスタインの弟バートン・バーンスタインの記憶を通して、アメリカ文化におけるバーンスタインの顕著な功績、広範にわたる衝撃が調べられそして祝われる。
この美しくゴージャスな本には100以上の写真付き、それにはバースタインの手紙、レビュー、ポスター、チケットなども。
この本は、バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督になって50年記念であるばかりでなく、バーンスタイン90歳の誕生日にあわせて2008年8月に同時に発売される予定。

というもののようです。日本語訳は何年かしてから発売されるかもしれません。


バーンスタインの若いころの棒というのは、あまりにもぎこちなくうぶでそれでいて、それだからこそやたらと新鮮で聴衆のフィーリングにマッチした。背広姿の棒など、サラリーマンのにわか棒のようなういういしさがあり、昔のアルド・チェッカートを思い起こさせるような、なんというか、若い棒だけどフレッシュで、オーケストラも彼にはついていこう、という雰囲気満々な感情満ち溢れた、今の指揮者のような木端みたいな感じは微塵もなかったのであろうということがひしひしと伝わってくるものだ。
ただ、最初から才能の塊であり、あとは消費していくだけ、才能の浪費に終始したような気がしないでもない。それであればなんという壮大なる無駄遣いであったことか。
でも彼の中にもともとある自由度の高さが、運命的に容認された自由奔放さを、ときとしてジャンピングニーパッドのような空高く駆け上るようなアクションを生み、それも呆然、唖然、そして羨ましくも賞賛の目で見られていた彼は幸せであったのであり、そのジャンプを目のあたりにした我々聴衆もなにか音楽にすっきりしたものを感じたりしたのも事実だ。
今、彼が遺産とならず生き続けるのはジャンプ姿ではなく、才能の豊かさによるものであり、やはりバーンスタインはすごかった。
彼がニューヨーク・フィルハーモニックに登場した時の姿が目に浮かぶ。それは語りつくされている。それよりも、音楽監督としてポーディアムに駆け足でジャンプし、躍動感あふれる体と棒で、とんでもないトップがそろったこのオーケストラをいきないドライヴしたその音楽は八分音符のゴムのような弾力に満ち溢れたリズムを聴くとき、聴衆もこの音楽に身をまかせ、フォーエヴァーに身をまかせてもいいと思ったに違いない。音がこのように魅惑的に響いた瞬間であったに違いない。

今残っている彼の教育ヴィデオをみると若い時から音楽に対する膨大な知識、自由自在に駆使するその姿だけではなく、なにか音楽の炎の核心のようなものが厳然と存在していることに驚く。音楽というものは見て聞くものであり、観て聴くものであることを痛いほど感じさせてくれるいい絵が残っている。マンハッタンの聴衆のみならず、アメリカの音楽ファンが幸せな時代であった。それはあとでそう思うのではなく、その瞬間に感じていられることができた彼らは本当に幸せだった。何もかにもがベストにマッチし、その頂点のサウンド、音楽表現が眼前に現れるその録音の数々からも少しは証明される。すさまじい回数のサブスクリプション、演奏会前後と思われる嵐のような録音、いったいあの時代はなんだったのだろうか。ニューヨーク・フィルハーモニックにとっても一番幸せな時代であったに違いない。カーネギーホール、フィルハーモニック・ホール、マンハッタン・センター、ブルックリンのセント・ジョージ・ホテルをすさまじい勢いで駆け巡り録音しまくる、ユニオンの束縛は横に置いて、彼らメンバーにとっても自分のこの充実感をこの先いつくるかわからないもの、だから今が大事、この充実感。双方、そして聴衆にとっても忘れ難い時代だった。
おわり