前回、前々回とニューヨーク・フィルハーモニック1983-1984シーズンのオープニング・コンサートを書いてきました。
今日は、その3ですが、当時のメンバーはどんな感じだったのでしょうか。
プリンシパル他、主だったところだけ書いてみます。
メータがロス・フィルから連れてきたとされるコンマスのグレン・ディクテロウはいまだ健在。
アシスタント・コンマスはお父さんが作曲家のチャールス・レックス。
もうひとり限りなく怪しく結構長いケネス・ゴードン。
センカンド・ヴァイオリンはマーク・ジンスバーク。
ヴィオラはソル・グライツァー。
チェロは言わずと知れたローン・マンロー。
いつも気品のあるスタイル、サウンドで聴衆を魅了してました。
ベースはジーパン男、ジョン・シェーファー。彼もいまだ健在。日本に来ても、ちょっと落ち着きがない。いつも。
フルートには昔の流れの人たちがいた。
ジュリアス・ベイカー、ペイジ・ブルック。
ピッコロは女性。ミンディー・カウフマン。
オーボエはついこの間リタイアしたヨゼフ・ロビンソン。そしてアルバート・ゴルツァー。
ロビンソンは、やめる前に日本に来た時、僕は昔ニューヨーク・フィルハーモニックのサブスクライバーだったと言ったら、それはグー、でももうすぐリタイアするんだ。後釜はボストンからくる誰それだ、などといった会話があった。
イングリッシュ・ホルンは省エネのトーマス・ステイシー。いまだがんばってますね。
同じく日本に来た時、君のマスターチはどこへいったのかね、と訊いたら、剃ったと言ってた。当たり前すぎる会話に両者笑うしかない。
クラリネットは、もはや天然、生きる人間国宝、歩く歴史、スタンリー・ドラッカー。
1948年、19歳でニューヨーク・フィルハーモニックに入団したドラッカーは、2008年いまだに主席で健在。思えば入団60年!
スタンリー・ドラッカー with フィルハーモニック
バスーンはジュディス・レクレア。だいぶお年を召されたが大きなどんぐり目はいまだキュート。
コントラバスーンは写真も撮るバート・バイアル。
ホルンは、アトランタから来た言わずと知れたフィリップ・マイヤーズ。
何年か前の来日ではアンコールでブラスセクションだけの曲をやったあと、しこをふんだ。相撲も出来るらしい。。
それに、ジェローム・アシュビーさんですね。
トランペットは、昔シカゴ交響楽団が初来日した折はまだそのオケの末席に座っていたフィリップ・スミス。ヴァッキアーノのあとは難しい。
トロンボーンはあまりうまくなかったエドワード・ハーマン・ジュニア。
アレッシはもっとずっと後です。
チューバはワレン・デック。
ティンパニは、練習の帰り道とかに、といっても河童の蔵はリンカン・センターまで5分ぐらいなので短い道のりですが、道端でよくすれちがったローランド・コロフ。若者。
そう言えば、ディクテロウも演奏後ケース片手にアップタウン・ウェストの方に帰り際、タワレコに寄ったりしてましたね。
パーカッションはウォルター・ローゼンバーガー。
ひとり忘れてました。
1946年にニューヨーク・フィルハーモニックのトップに居座った、あのジェームズ・チェンバースがおりました。1983年にはもちろんホルンは卒業です。マネージャーですね。
一度事務局に用事があり、いったときにお話をしたことがあります。
何か用事かね。
すみません、ホルンの吹き方教えてほしいですけど。
なにぃ、フィルハーモニックに寄付するほうが先だろうが。
はい、そうでした。すみません。
会話の内容は定かではない。
おわり
実はクラリネットのドラッカーが引退するまで、アメリカではリタイアの年を本人が決められるなんて知りませんでした。
2年前にニューヨークフィルを聞きに行った際、ドラッカーの姿を見て、隣の席の人に、あのクラリネットはドラッカーの息子さんでしょうか?良く似ていますねなんて馬鹿なことを聞いてしまいました。しかし、彼はとても若く見えました。
ブルーノ・ワルター時代から演奏してたと聞きました。
ドラッカーは本当に長い。シカゴにもアドルフ・ハーセスというトランペットがおりました。80過ぎまで現役だったと思います。
ドラッカーはミトロプーロス、ワルター、ストコフスキー、など目のくらむような棒ふりが健在であった頃のことをすべて覚えているんでしょうね。