2002年1月19日(土) 4pm 神奈川県民ホール
ワーグナー 作曲
ハリー・クプファー プロダクション
ジークフリート
キャスト
ジークフリート クリスティアン・フランツ(T)
ミーメ グレアム・クラーク(T)
さすらいの旅人(ヴォータン) ファルク・シュトルックマン(Br)
アルベリヒ ギュンター・フォン・カンネン(BsBr)
ファーフナー ドゥッチョ・ダル・モンテ(Bs)
エルダ メテ・アイシンク(A)
ブリュンヒルデ デボラ・パラスキ(S)
森の小鳥 天羽明恵(S)
ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュターツカペレ
(duration)
ActⅠ 4:08-5:27pm 1時間15分
ActⅡ 6:15-7:30pm 1時間15分
ActⅢ 8:13-9:35pm 1時間22分
第1・2幕の二幕、それらと第3幕は全く異質だ。
第3幕になって話がようやくつながりを見せる。特にブリュンヒルデが女性として存在感をよく魅せてくれる。
人間技とは思えなかったジークフリートの歌もこうやってみてみると、第1・2幕はツボが1,2か所あるだけ。第3幕における圧倒的存在感が印象に残る。
第3幕こそ、神々の黄昏のプロローグのような雰囲気だ。
ブリュンヒルデの兜を剝がしにかかるジークフリートの音楽は神々の黄昏の冒頭の音楽であり、バレンボイムとオーケストラの絶妙なアンサンブルとともに忘れ難い。
ファーフナーのロボコップもミーメもあっけなく第2幕で死んでしまい、エルダも第3幕でいなくなり、さすらいの旅人もここまで。
ジークフリート第3幕が転機の音楽である。従って、他の指揮者とちょっと異なり、今まで突っ走ってきたバレンボイムは誰よりもここに時間をかけたと思えた。特に兜を剥がすところの音楽はこれ以上ない精緻な音楽、デリケートな表現となっていたようだ。全く素晴らしい。
ジークフリートはこの部分だけではなかなかわかりにくく単独ではちょっと理解が難しいだろう。前のワルキューレがあり、後に神々の黄昏があるから成り立っているようなところがある。しかし、この第3幕で一気に救われるような気持ちも間違いのないところである。
第1幕における工場がとんでもない。真ん中にプロペラ機のような扇風機のようなものがある。最終的には剣でばらばらになってしまうわけでだが、ここらあたりの演出は面白い。
ジークフリートの鍛冶場の剣を鍛える音が、オケとずれてしまい遅くなる。本人はその遅くなったほうに合わせて歌っているのでますますずれる。しまいには鍛えるのをやめて歌に専念していた。第1・2幕で体当たり的な迫力に欠ける歌ともども、もう少し歌い込む必要がある。
ミーメのクラークはいくつなのだろう。よく動ける。主役をしめる役にふさわしい。
それにしても録音だけだと音楽以外にドタバタと雑音が激しい第1幕であるがこうやって生で観てみると工場は五月蠅いものだと妙に納得。
第2幕はもっとわかりやすい。小鳥を操作しているのはヴォータンであるという演出が明らか。それよりも前にファーフナー、ロボコップ大蛇。金属いも虫が3個と、これまた巨大音響で床に落ちたシッポ2個。これは1匹で頭が3個、シッポが2個ということなのだろうか。という質問がすぐ浮かぶくらいわかりやすい。
このような事を経て、第3幕のブリュンヒルデが眠りから覚めるあたり、寝たときは頭を上手にして岩の上に眠らされていたが、ここで起きたときは頭を下手にして岩もなかった。それでもワルキューレ第3幕の大団円のイメージが表われてくるのでようやくストーリーがつながったような気がするのである。
男勝りであったポラスキーもここでは一気に乙女になりきる。一昨日よりも見た目的にも若くなった。歌いくちが非常に素直で滑らか。
ジークフリートと二人で大きなうねりを作りながらクライマックスに辿り着く。
フランツもようやく体当たりの歌唱となり全開。
おわり