河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

584- 六本木午前2時

2008-03-26 01:19:25 | 六本木にて

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華金の深夜、六本木通りと外苑東通りの交差点界隈は、真夜中2時だというのに、ものすごい喧騒だ。その源泉は日本人ではなく半分以上が外国人だったりする。それでも通りを一つ裏にはいると喧騒は嘘のように静かになる。なんだうわべの表通りだけ騒がしいだけじゃないかと思うのはちょっと甘い考えだ。人がいないのは建物の中にはいってお酒を飲んでいるからだ。横道、裏通りにはいろんなお店がある。六本木の多国籍人種さながらの多種なお店がある。道をそれてお店に吸い取られていく。店も人も多い。

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六本木の寿司屋は銀座なみに高いが、ハードリカーのバーはどこへ行っても大体同じような支払いだ。

銀座のバーは落ち着いたお店が多い。小さなバーでも小粋で秘めた自己主張を感じるお店たちがなかなか深い味わいを醸し出してくれる。

六本木はどうだろうか。いままでいろいろと徘徊して感じるのは意外にも、横のつながり、親戚、家族、男女、の関係である。客とスタッフの関係を言っているのではなく、スタッフだけの話です。つまりお店の人たちのことです。意外にもこのような関係で結ばれているというかつながりがあるというか、そのような人たちでやっているように見えるケースがわりと多い、多く見えるということです。

自然と空気感もそのような雰囲気になるわけで、若い連中がやっているお店が多い割には角があまりない。銀座と比べて良し悪しがどうのこうといっているわけではなく、このような雰囲気の違いがあるということ。

銀座のバーでお酒を飲んでも酔えないときがある。背筋を伸ばしてかっこつけて飲む酒もあるわけだ。肺腑をえぐるハードなリカーを飲んでも胃壁がきりっと張っているところに流し込む酒はいくら強くても内臓に沁みていかないのかもしれない。それでもそのようにお酒を飲みたいときもあったりする。

六本木のお酒はもっとフランクで自由度が高いかもしれない。自由度が高ければ敷居は低くなり良いものも悪いものも両方あるというわけだ。澱のあるローカスクから混ざりものを取り除けば一番おいしいところもなくなってしまう。両方混在する面白さが六本木にはある。

喧騒の交差点を東京タワーを正面に見据え飯倉方向に歩いて小路を二つやり過ごし行くと、左側に三つ目の小路のわりときつい下り坂がある。そこを折れると右側に金魚がある。

香和とか金魚とかは河童の趣味ではない。ニューなハーフより団子がいいな。ハーフより団子。。

年末年始のバスツアー団体さんなどが列をなしてはいっていく姿がほほえましいとは思うがその一員にはあんまりなりたくないなぁ。

それで金魚のビルの小路をはさんで左側の分かりにくい雑居ビルのこれまた分かりにくい地下に気合の入ったバーがある。

お店の名前がまた輪をかけてわかりにく。

Don’t make it a one night stand

今宵限りではなく、もっとお付き合いしたいね。

あら、あたしもそうおもってたの。

会話としてはあけ透けだがこれが六本木の風というわけだ。

それで、名前があまり長いのでONSと略しているようだが、これだと肝心の否定の部分が抜け落ちてしまうので、本当に今宵限りになりかねない。。

それはそれとして、お酒はなかなかうまく作ってくれる。

ウィスキーをストレートで飲めばどこへ行っても同じ味のはずだが、こころざしの高さがそのお酒に見えないディテールをブレンドするのかもしれない。こころざしの波長が空気を揺らしウィスキーを自然のシェイクで満たしてくれる。

また、BGMが軽めのクラシックというのもいい。クラシックといえばあっちのほうがかなりコアだ。あっちのほう?ほれ、俳優座の裏の決してわからないドアからはいるネプラスウルトラ。この前なんかクナのパルを流してた。。ちょっとわからない人のために。

この前なんか、過去のドイツの大巨匠指揮者であるハンス・クナパーツブッシュが指揮するワーグナーの最後のオペラであるパルジファルを流してた。となる。

ネプラスウルトラはとりあえず今日はやりすごし、一度はONSで飲んでみたい。

ざっくりとした中にきりりとしまるカクテルもいい。河童はウィスキーに目も皿もないけど。。

それで、いろいろ調べたら食べログに書いちゃったりしているのね。

クラキチのレストランガイド

レストランといいながらバーしか書いてない。

それもまだかなり少ない。

たまには寄ってください。

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500- 店がなくなる

2007-12-13 23:14:00 | 六本木にて

今年2007年も行きつけのお店が3軒なくなった。というにはまだ早い。2軒は営業中で今年いっぱいで取り壊し、再開発。

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六本木の思い出のおバンザイ料理のお店は春先になくなり、既に取り壊し再開発。

いろいろなことがたくさんあったお店で、よく通ったが途中からは昔の思いを思い出すための場所の一つになってしまった。

ロング・ストーリーはいつからかさみしくてむなしいものになってしまったが、そんなもの思い出さなくていいものなら、わざわざそのお店に行くことないだろうに、と言われても仕方がないのかもしれないが、そこが煮え切らない河童。割り切れない人間。

そのお店は3月にクローズ。しかし、昔のこともクローズというわけにはいかなかった。

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2軒目は渋谷のバー。ビルの取り壊し再開発で、またそこにお店を開くかといったらそう簡単にはいかない。

第一、ビルが出来るまでのんびりかまえるわけにもいかない。

とりあえずは今の近くですぐに再開することになるだろう。年末までは営業しているようだ。

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それと3軒目は銀座のバー。3階建ての古いビルの3階。この建物も取り壊し。

ビルもなくなり小路もなくなるのだろうか。さびしい限りだ。年末までは営業。

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振り返るに値する過去など持ち合わせていない河童だが、まだやっている2軒のバーにはクローズする前にもう一度ずつ行ってみようと思う。何か昔のことをいつもと違うことを思い出すかもしれない。

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459- 六本木 ヴィクトリアステーション 1000グラムナイト

2007-11-02 22:41:00 | 六本木にて

昔、といっても10年ぐらい前まで、俳優座の地下あたりに今は居酒屋の土風炉となっているあたりに、プライムリブのステーキ屋ヴィクトリアステーションというのがあって、わりとキラキラした階段を下っていき、赤いカーペットを踏みながらもう23段降りると右に大きく店内がみえ、ヴァイキング風なヴェジタブルコーナーや奥の少し薄暗くていい雰囲気のテーブルなどが六本木のスモーキーな夜を演出していたお店がありました。

当時のカパオとカパコはそんな大柄でもないのにだいたい800グラムでした。

800グラムカットして、というと、店員は、お二人で?と、きくので、いや800グラムずつください。といって頼んでおりましたが、それも最初のうちで、だんだん面が割れてくると、言わなくても800グラムずつでるようになりました。

昔は肉ばかりでしたが、そのうちバリエーションが欲しくなり、これも昔の防衛庁正面玄関ではない横向かいあたりにあった焼き肉屋の十里のほうにいくようになり、こちらは焼き肉屋なのにウィスキーボトルをキープし、連日連夜の牛タン22皿というのにはまったこともありました。

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ということで、ヴィクトリアステーションのほうですが、ここは男同志でもわりと言った記憶があります。

ある日、カパオは肉1000グラム食える、といった会話を友達にしたら、信じられないということだったので、それでは善は急げ、ではなく、真実は現場で、という話になり、おりしもカパオの誕生日ということもあり、みんなで一目散に階段を駆け降りたのでした。

それで、みんなが固唾を飲むのを横目にしながら、プライムリブ1000グラム、レアレアで、と声高らかにオーダーしたのでした。高らかな声の二声目は、周辺物は無しで、イモとかヴェジタブルはいらない、それから、肉に味付けしないで、といつも言っていることを繰り返しました。

ワル仲間たちは、ふむふむ、といった目で見ておりました。たぶんあれ以来、彼らはチープな居酒屋でまずい焼き鳥などを喰らうのはやめたと思います。

それで、レアレアのプライムリブというのもちょっと難がありますが、食べ方としては、まず、味付けしていないスの状態のお肉を300グラムほど食べます。これがまたいい味なんです。このときはワインをボトルでオーダーしていたので、赤いワインと、血の滴る赤いレアレアを同時並行的に飲み食べる。

それで300グラムほど進んだら、次におもむろに、背広のポッケに隠し持っていたキッコーマンの醤油をとりだす。瓶だと大きいので携帯用の小型詰め替え醤油。当然自宅からの調達品である。ヴィクトリアステーションのみならず、お店においてあるソイソースはいまいちだ。アメリカのものはいまさんぐらい。だいたいにおいて、瓶に英語で書いてあるあたり論外だ。

それで醤油であるが、回転するふたをはずし、300グラム食べた後の残り700グラムのうちの200グラムにおもむろにたらす。

この、醤油味のステーキ、絶品ですね。肉と豆のコラボ。なんとも言えない感動が舌や鼻を通って脳天に突き抜ける。これであっというまの200グラム。今のところ500グラム。

あと残り500グラムなんですが、あっという間といいながら、頼んだ代物がレアレアであるため、残りの部分は比較的早期に冷たくなりつつあります。そこで、スタッフに声をかけます。

悪いけど、この残り500グラムなんだけど、もう一度火を通してくれないか、と我ままをいうわけです。そうするとスタッフも、変な客だなぁなどと心の中で思ったことがわざと顔に出るような形相で、ホワッ、などとのたうちまわったりするが、もう一度言えばいいだけ。

悪いけどもう一度火を通してくれないか、さっきの感動をもう一度味わいたいんだ、と言えば事は何となくまるくおさまり、火を通しに肉を持ち帰る。まわりの客たちはジロジロみているが、そんなことはどうでもいい。

そして、肉に再度の火を通している間に、ワル連中にしゃべるわけだ。

僕が昔メト座の河童であった頃は、肉はだいたい2パウンドって決まっていたんだ。約900グラムぐらいかな。だから1000グラムっていっても数字的には桁ずれをおこしているけど、9001000も同じようなわけさ。だからもともと通常食なんだ。ってのたうちまわって、ワル連中が、へぇー、などといっているさなか、先を続ける。

それは肉の話なんだけど、海老、ロブスターの話もあって、5パウンドロブスターってぇのを食ったことあるよ。っていったらワル連中はびっくりしていたけど。

5パウンドっていっても、ロブスターの場合、武装していて殻だらけだから実際においしく食えるところはそんなにないんだ。それに、スチーム、ベイクド、ボイルド、どれでもいいけど調理すると何だか知らないけどかなり軽くなるしね。と、うそぶいた。

実のところは、5パウンド、ネットで2.5パウンドぐらいだと思うが、殻にへばりついている部分の肉は食えないので、2から2.5といったところか。

ボイルしたロブスターもとてもおいしいが、それを食って翌日会社に出たら、カパオさん、あまり寄らないで、って2メートル先の切れ者女リズコに言われたことがある。こんなとき男は言わないが女はズケズケというからね。それにしてもよっぽど臭かったんだ。

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というわけで、火を再度通したお肉が出てきた。レアレアというわけにはいかない。ミディアムレアでもない、限りなくミディアムに近い。このような食べ方をなんというか知らないが、好きなものを食べるときは我ままをいっていいのではないか、などと反省のいろは全く見せず再度食べ始めた。

このミディアムな残り500グラムのポイントは、グレイヴィーだと思います。プライムリブに肉汁をマッチさせるケースは本来的なものなのかどうかわかりません。それにリブの場合、肉汁が溜まっているところに肉を漬けておくのでしょうか。漬けておいたとしても、なんだかあんまりおいしいグレイヴィーは望めそうもありません。

ここは比較的調理しまくったグレイヴィーのほうがいいのかもしれません。とにかく熱い肉に飴のような粘度のグレイヴィーをたらし、食すリブの味は何物にも代えがいたいものがありました。

その500を終われば合計1000グラムとなります。ソーホワットですよね。みなさん。

記憶では、ヴィクトリアステーションに1000グラムのメニューはない。勝手にカットしてもらっただけ。最初からわがままな客だったわけだ。

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今は、渋谷にもあるアウトバックなどでもいい肉が食えるときがあります。スタッフが変に気をまわして、きいてもいないのに、うちの店はアウトバック、オーストラリアが謳い文句ですけど、肉はアメリカ製なんです。などといったりしていたが、うまければどこの肉でもいい。

ここの肉は、肉だけでなく、何事も量が多く、また安い。ビール一本と、ステーキ300400グラムとあとなにか一品頼むと、一人当たり五千円ぐらい。最近の収縮モードの胃には大変にこたえる量ながら、値段的にも満足のいくものがある。

そもそも、日本料理屋で食べるステーキというのは、調理しすぎで、他の料理と同じぐらい手間暇かけている。それをどうこういうつもりはないが、そこまでして食いたいとは思わない。

あらかじめこってりと味付けされた肉、選択肢のない調理、果ては、何とかショーみたいな感じで鉄板焼きで肉を細かく切り刻んで出したりする。あんなもののどこがいいのだろうか。

そのようなことばかりしている人間は、だまされたと思ってヴィクトリアステーションへいけ。もうないからアウトバックへ行け。

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すぐに脱線してしまいますが、その六本木のヴィクトリアステーションで、みんなでお肉を食べた後、今日はカパオの誕生日です。と、厚かましくスタッフにしゃべったら、ケーキをだしてくれた。

普通ならうれしさも半分で、もう食えない。といったところだろうが当時のカパオは特に問題もなく、デコを三分の一ほどいただいた。ただ、ケーキの後のワインはこたえる。

それで、重いおなかをおさえて、階段をのぼり、六本木の外の空気を吸う。みんなおなかがいっぱいの割には気持ちが快調だ。やっぱりここで肉食ってそのまま帰るなんてバカな真似は出来ないし、誰もそんなことはゆめゆめ考えたこともない。

肉ってぇのは、何でも消化がいいらしくて、45時間でまた腹減ってくるらしいじゃないか。などとまたまたうそぶき、六本木の細い通りのほうに身をうずめ、好きなウィスキーを飲みながら肉の消化を待つ。

花より団子、肉よりウィスキー、てなことにはならないが、肉あれば酒あり。朝になれば腹がグーっと共鳴していたので、当時のエネルギーは果てしもなかった。

おわり

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444- サメの夜は

2007-10-18 22:27:00 | 六本木にて

昨日まで三日間、堅めのブログになってしまったので、今日は、雨の夜は、サメバーで鮫を見ながらカクテルを。
六本木スタジオのところにある水槽ドアを開けると、ウィスキーボトルが並んでいるはずのところに水槽がある。
水槽ではコバンザメ、もとい、小型の鮫が窮屈そうに水中遊泳をしている。
これはゲテ、と思い、できた時は絶対に三日でつぶれると思ったが、なぜかいまだ健在。
スタッフが全員女性だしね。
ウィスキーの味はどこでも同じだが、カクテルはちょっと違う。ここのは気のせいかだいぶストロング。
早めに酔わせて早めに帰らせる魂胆だ。女性のスタッフの前でナガナガといても嫌われるだけだもんね。速い回転のほうが効率もいいし。

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日本食屋のカウンターの前に水槽があったりして、泳ぐ魚をみながら刺身を食ったりさせられることがあるが、あれ、最悪だね。
ダメなんだ、気持ちが悪くなる。
サメバーで鮫をみながらお酒を飲むのは少しは許せる。鮫を食うわけではないので。
でも、やっぱり、ゲテ、かなぁ。

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みなさんも一度どうですか。
サメチャージを取っているかどうかは不明だけれども。

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390- 六本木 食いそびれNITE

2007-08-25 23:03:20 | 六本木にて

焼肉通の多い業界人が究極の焼肉屋と絶賛し、通いつめる、こだわりの焼肉屋。舌の肥えた業界人たちを唸らせ、究極とまで言わせる秘密はズバリ、料理の旨さにあり。」

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さわやかな感動と笑いを誘う、目の前がクラクラするような宣伝・煽り文句である。

この文章なんとなく、毎年冬になるとなんとかの一つ覚えで、ハワイにいきたがる旧芸能人間を想起させ、激しく可笑しい。

「業界人」という単語が出てきただけで、鳥肌が立ち絶対行くまいと決めてしまう人もいるに違いない。

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そんなにケチつけるなら、いかなきゃいいだけなんだけど、でも、

恐いものみたさ、ってあるよね。

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六本木のロアビル手前の小道をはいっていき、ハードロックカフェとトニーローマをやりすごし右に折れると黒い建物で表に二階に行く階段がさらされている焼肉屋は、そこにあった。

時は夜中の1時半。六本木ではちょうどいい時刻だ。

よし久しぶりに肉を食らうか、という気持ちの高ぶりを抑えながら透明なガラスの押しドアをあけた。

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河童

「業界人が食べているというお肉を食べたいのですが。」

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「お客様、すみません、今の時間帯、これから団体さんの貸し切りが入りますので、申し訳ありませんが、いれることはできません。」

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河童

「むむむむ。

夜中の1時半だぜ。今頃貸し切りなんて本当か。常識っぱずれもいいところではないか。」

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「すみません、業界の客ですので。彼らの常識ですから。」

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河童

「むむむむ、業界人と河童とどっちが大事なんだよ。」

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「もちろん、業界人のほうが大切です。

歌を歌えない歌手とか、声がでかいだけの無芸脳人とか、食べることが本業のアスリートとか、とにかくサラリーマン以外の人たちが大切なんです。みかけだけでも様になるほうが宣伝になりますし。

木端の河童さんは、別の日にすいてる時に来てくださいませ。」

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河童

「客席が114席もあるのにダメなのかね。」

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「はい、業界人は夜中の団体さんが多いので、うちみたいにたっぱがでかい店でないとだめなんです。」

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河童

「おお、そうか、キャパがでかいだけの店ということだね。」

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「。。。。」

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やはり、夜更かしの焼き肉は健康に良くない。

業界人はせいぜい夜中に肉を食らい元気をつけて、おてんとうさまが照っているときは眠い目をこすりながら臭い息を吐き、自分の目を覚ますためのばかでかい声で騒いでいればいい。

このようにしてテレビでは学芸会以下、否、未満のどうしようもない絶叫の数々が今日も続くのである。

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それはそれとして、この巨大な牛の荘園には、はいりそびれたわけであるから、味のことをどうのこうのと言う資格は河童にはない。

誰かさんが言っているように、

「業界人がいく店にうまい店なし」なのかどうか、是非とも河童舌で確かめてみたい。

夜中ではなくね。

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おわり

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327- 六本木ナイト パート2

2007-06-23 20:57:00 | 六本木にて

この前、六本木で例によってお酒を飲んでいたら、途中おなかがすいたのでバーを抜け出し、吉野家の牛丼と味噌汁をたのんで、さぁ食べようかなと、箸を手にしたら、となりに、道端の客引きとおぼしき真っ黒な黒人がすわりやがって、牛丼スタッフの東南アジアのおばさんに、これ、などと言いながら同じ牛丼をたのみながら、スプーンも一緒、などど付け足しながらしゃべくりはじめた。

クロ

『ヘィ、ヨー、メン、ジャップ。ホワッツアップ』

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カッパ

『ナメンジャネェ、クロ、シズカニクワセロ』

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クロ

『アイムソーリー、ジャップ』

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カッパ

『サイキン、アメコー、イタコー、ミンナダメダメネ』

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などと会話をかわしたかどうか定かではないが、とにかくこっちは酒の幕間のひととき静かに牛丼を食べはじめた。

そうこうするうちに、クロにも牛丼がきた。味噌汁はない。牛丼と水である。

食べるさまを見たいわけではないが、となりに座っているので見たくなくても見える。

まず、牛の部分をサァと食べる、そうするとつゆだく気味の白いご飯部分が見えてくる。

そこにおもむろに七味唐辛子をかけるのである。しろいご飯が見えなくなるぐらいの量。

そしてまた、牛の部分をサァと食べ、ドバッと唐辛子。これのくり返し。

全部食べ終わるまで見てやったが、七味唐辛子が三分の二ほどなくなっていた。クスリには強いクロだからやみつきだなぁ。きっと。

キムチなども常用性があるというから同じような感じなのかもしれない。河童はとてもまねできない。紅ショウガが5カケラほど食って、味噌汁で胃に流し込むのがせきのやまだ。

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クロ

『ゴチソウサマ、イクラ』

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東南アジア

『ヨヒャクハチジュウエン、デス』

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クロ

『ホラ、ゴヒャクエン』

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東南アジア

『ニジュウエン、オツリデス、ドウモアリガトウシタ』

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カッパ

『オメエラ、ナンデ、ニホンゴ、デ、シャベッテルンダヨ』

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クロ&東南アジア

『郷にいては郷に従え、というじゃないか。』

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カッパ

『オー、スミマセンデシタ』

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ということで、六本木のミッドナイト3時は、特に週末であれば、おひるの渋谷の交差点なみ、とまではいかないが、何でこんな時間にこんなに人が歩いているのだ、という感じで異次元世界だ。

特に、人種的には、この夜なかに遊んで歩くジャップは3-4割。あとは、アメコー、イタコー、ロシコー、アジコー、シロクロ、なにがなんだかわからない。外国にいるみたい、というよりもスターウォーズの宇宙バーみたいなもんだなぁ。おもしろいといえばおもしろいが、六本木で遊ぶときは、一軒ぐらいはいきつけの店がないといけない。何事につけ骨休めが必要だ。

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ところでクロがオーダーしなかった味噌汁であるが、最近はアメリカ人でも味噌汁を食えるハイソサエティな人種がいるが昔はそうではなかった。

マンハッタンで朝、アメリカ人社員に車でピックアップしてもらった日本人が、途中で降ろされたそうだ。

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アメリカ人

『オハヨー、ミスター、クルマニドウゾ』

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味噌日本

『サンンキュウ、今日も朝飯はご飯に味噌汁さ』

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アメリカ人

『アサメシ、ダイジネ』

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味噌日本

『ソウダ、ソウダ』

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アメリカ人

『ヤッパリ、オリテクレ』

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味噌日本

『ナンデ?』

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アメリカ人

『ソノ、ニオイ、タエラレナイ、オリロ』

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ということで、通勤の途中、車から放り出されたというなさそうでありそうな話があった。味噌汁のにおいはアメリカ人には耐えられない以上のものだったのだ。

似たようなものに魚の缶詰があった。魚の缶詰もオープンするとほぼ気絶する。

おわり

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うっとうしい 東京ミッドタウン

2007-04-29 22:12:24 | 六本木にて

Scan10001_19

この3月にオープンした大箱でだだっ広くてビル風が強く繊細さと展望台を備えていない六本木の東京ミッドタウンをちょっと冷やかしにいってみた。

ガレリア2階にある、ラヴェルの1時間ものバレエ音楽のタイトルの恋人役のほうの名前と同じ名のパリのブランド店でバックを眺めたりした。

奇妙なことに商品に値札が付いていない。銀座のわけのわからない鮨屋を想起させるに十分だ。銀座の高額鮨屋の請求額なんて、はっきりいって適当。チープな紙切れにメモ書きのように請求額がボールペンで書いてある。それをみてカードをだしキャッシャーでチンされたプリント紙切れにサインをして一夜の悪夢を忘れるわけである。サインをする前に明細をくれ、といったら、明細が出てくるまで10分かかった。逆算も楽ではなかったのだろう。もっともひとつずつの価格が書かれたお品書きがあるわけでもなく、一品の値段は適当に時価、なんだろう。ジャズ以上のアドリブが冴えわたっている。東京のいやらしい慣習ここに極まれり。

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それで、このバック店、ラグジュアリー店だ。フラッグシップショップ、日本語で言うところの旗艦店。うっとうしいな。カタカナ。

なんで値札がないのだろうか。2階のほかのお店も同じような感じだったが、値札なしで高級感を出そうとしているのかしら。それとも貧乏人をただ馬鹿にしているだけなのだろうか。値段をきにする連中は来なくていいと。

なめんじゃねぇ。おめぇら何様だ。ちゃんと値札つけて、物売れや。質屋だって値札出すぜ。

この大バカ者たち。

などと心の中で思いつつ、表面上は冷静さを失わないのが河童の特性。

別枠においてあるネームタグ、小物入れなどが5~8万円ぐらいだったので、目でチェックしたバックの値段は予想がつくというものだ。

カパ子

「あのバックとってもいいわ。気にいったの。」

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カパ夫

「あっそう。いくら位するんだろうね。」

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カパ子

「値段なんかどうでもいいじゃない。ねぇ、お願い。」

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カパ夫

「ちょっときいてくれば。僕はあっちの方でほかのもの見てるから。」

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カパ子

「わかったわ。お店員様、このバックとっても素敵ですね。」

店員

「これでございますか。××のお品です。最後の一つでございます。」

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カパ子

「お店員様、すごく気にいったんですけど、いくらぐらいするんでしょうか。」

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店員「25万円です。」

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うっとうしいなぁ。この店。

店頭に残った商品を正価で売るのかよぉ。アキバの電気屋でもそんなこたぁしないぜ。

もう少しまじめにやれやぁ。

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カパ夫

「僕としては、他人の手あかまみれの商品を正価で買うというのは全く性に合わない。ちゃんとしたものがあるときにまた来よう。」

という、理想的な回答でカパ子を慰めてあげた。

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それにしてもだ。

また六本木は変わってしまった。

六本木WAVE night

も一段と昔話になってしまった。

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東京ミッドタウンは防衛庁だったわけだから、河童は赤でも黒でも白でも黄色でもピンクでもないけれど、近場で酔っぱらって帰るときは、正門に向かい君が代行進曲のパート譜を口ずさんだものだ。学校のブラバンなんか、暗譜当たり前だからね、それに運指も全部覚えてるわけだよね。だから君が代ではなく、君が代行進曲なわけさ。

ということでミッドタウンは少しうっとうしい、と思う人は対面の通りの裏に斜めに走った通称河童通りにいくわけさ。

気分転換にメシでも食うか。という感じ。

魚芳

ここ、昔、魚屋さんだった。ビルに変わり魚料理のお店になった。

何度か入ったことがあるけれど、最初のころは片肘はった堅苦しいところがあったが、今はそんなこともなくリラックスできる。気のきいた一品もいいが、煮魚、焼魚、あたりがわりといい感じだ。

そういえば、気のせいか、この河童通り、なんとなく明かりが戻ってきているように感じる。

ミッドタウンのあとは、六本木通りを越えてその先に行くのではなく、ここらあたりで昔のように皿にお酒をやり、くつろぎのときをすごすのもいいかもしれない。

おわり

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3 カスクのカスク

2006-12-13 00:01:00 | 六本木にて

2_11

河童「もうボロボロだ。」

静かな悪友S「そうだな。ベロベロだ。CASKでこんなにもたくさん、おいしいお酒を飲めるとは、場所的には青天のへきれきだ。」

「それは逆だろう。地獄で天使。」

河童&S「もう、ベロボロだ。」

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河童「お店には、におい、かおり、というものがある。初めてのところでも、それまでの数知れない体験から、ここらあたりにたぶんこんなお店があるかもしれない、とか、入口のにおいでどんなお店なのか、わかる。。こともある。」

S「はいはい、私はその経験の場数を踏まず、ただただお河童様についていくだけでいいのですから安上がりでございます。」

「君、それは謙遜しすぎだよ。僕と出会って、踏み入れたかった未知の世界にはいっていくことができたということだろう。便利な存在だったんだよ。僕は。」

「実はそういうことだったかもしれません。しかし私の世界も本当に広がりました。バーでこのような数多のバリエーションのウィスキー、カクテルに巡り合えるとは思ってもおりませんでした。」

「そうだね。たしかに。僕もそれなりに楽しんでるからいいのさ。」

「それでその、におい、というのは?」

「お店の周りの雰囲気、人の流れ、明るさ暗さ、門がまえ、街の風貌とそれにマッチしているかどうか、しっくり感、人を吸収する力のあるドア、といった外からただよう雰囲気かおり、そして、ドアを開けたときの本当のにおい、かおり、これが最初にクリアすべきものなのかもしれない。」

「アルコールが中枢神経を蝕んできたようだ。」

「最近は2軒目以降がバー、というハシゴは少なくなったね。いきなり気に入ったバーに行く。そこで濃いお酒を飲む。食べていないので味はよくわかる。量はあまり飲まないので胃への負担感も少ない。しらふではいるわけだから会話も楽しいというものだ。」

「変わったね。河童様も歳かね。」

「人も河童も変わらない方がおかしいのだよ。昔のイメージだけでしゃべってると進化しない霊長類になってしまう。だから長い付き合いの相手にも敬意は持つべきなのさ。」

「そうだね。酔っぱらった方がいいこと言うみたいだね。河童族は。」

「それというのもここのおいしいお酒のせいだ。」

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S「ところで、あすこに置いてある珍しいラベルはなんだ。」

河童「あぁ、あれかい。あれはこのお店の3周年記念オリジナル・ボトルらしい。」

「余市って書いてあるから、ニッカだな。ニッカはあまり飲むことがないね。」

「そうだな。かなり前に銀座の八官神社があったビルの上のバーで飲んで以来だね。」

「その八官神社いまでもあるよ。昔は電通通りの一階に面してあったけど、今はソニー通りのほうにひっそりとあるみたいだ。」

「苦しくなくても神頼みはかかせない。」

「それで、あすこに見える余市はどんなお酒なんだい。」

1991年つまり平成3年の樽詰のシングルカスクらしい。まだバブルの余韻があったころだね。僕は当時あるお店にボトルを4種類4本キープしていたことがあるけど、いま思うと狂気の沙汰だね。当時既に脳に消毒が必要だったってわけさ。」

「今日はいつも以上のお酒のせいか、聞いてもいなことが次から次とよく出てくるね。口から出任せの白髪三千丈ではないのかね。」

「それはありえん。僕はリアリストだ。というよりも経験主義者だ。」

「それは河童電脳の世界のことかもしれんよ。河童の夢はどんな夢?」

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河童「ところでこのオリジナル・ボトル。かおりが僕の好み、味わい、フィニッシュもよさそうだ。度数も63%と花金にはうってつけだ。」

S「まるで飲んだことでもあるような口ぶりだね。」

「実は念力でちょっと飲んでみたのさ。隙間のない敷き詰められた味。君もどうかね。」

「僕には河童の念力はない。」

「実は2本さるルートから手にいれてある。一本あげるよ。」

「そうか悪いね。ただとは言うまい。ただほど高いものはない、というからね。」

「そうだね。支払いは君に任せるよ。」

おわり

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2 カスクのハイカイ

2006-12-12 00:01:00 | 六本木にて

うまいお酒を飲むために無駄な努力というものはない。どこでどんなお酒を飲めるのか。

全ての努力をして、やれることはやって、そうやって得たリアリティーな体験を血肉としてまた新所名跡を探し当てるのである。この醍醐味感。何とも言えずいい。

しかしその一本気な努力が、他のことについても出来ていたなら、それはそれで別の素晴らしさが開けていただろう、というのは言葉のあやだ。なぜなら一つのことをまともに出来ない人間や河童に、二つのことを出来るわけがない。まず最初に一つあるべきなのだ。でもこれも言葉のイリュージョンだ。

一つのことをすることが、ほかのことをおこなう誘因になることさえある。人生の充実感というのはそういうことだ。そのようなときもあったかもしれない。でもその疾風怒涛のなかに我が身があるとき、えてしてそのことには気がつかないものだ。

お酒を飲むと話がショートする、というより、飛ぶ。

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お酒で体も筋肉も癒され、脳みそも癒される。ときにはあいた傷口もふさいでくれる。決してその反対のことがおこらないのがバー。しかし、もしそうなら、別の意味で飲む方もその姿勢を正さなければならない。緊張感をもって癒される。酔いながら酔わない。そのような場だ。

アトモスフィアも大切だ。静かに飲む。これに尽きる。

でも、昔と違いいろいろなお酒を飲むことが出来るようになった。わからないことはお店の人に訊きながらよく教えてもらう。有楽町のビックカメラの店員からは商業主義的な説明をきかされて辟易するけれども、バーのスタッフの説明には飽きない。単にこちらが未知のお酒に興味を抱くから、という理由からだけだろうか。共感があるからだろう。共鳴するトライアングルは小さなサウンドでもよく響きこだましあう。銀座には古くから、また新しくてもそのような雰囲気が自然に醸し出されるお店が多い。でも今日は六本木だ。

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河童「最近の噂によると、サントリーホールから六本木へ、河童にはちょっときつい坂道をのぼる六本木通りの中腹にカスクの品数がわりとそろってるお店があるようだ。」

静かな悪友S「そうですか。はいはい、じゃぁここらあたりでタクシーを降りて歩きましょうか。お河童さま。おいしいお酒を飲ませてくれるならなんでも言うことを聞きますから。」

「そうだな、酒を飲むときだけは無駄な抵抗はしないようだな。さすがモリ君の後輩だけのことはある。なぜ政治家にならなかったんだい。」

「それは別の予感があったから。でも今日はお酒でしょ。はやく行きましょう。」

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「まぁ、まって、ゆっくりと河童ペースで歩こう。右側に高い建物が見えるだろう。あすこは昔の防衛庁だったね。」

「そういえばそうだね。」

「外資に吸われたみたいだ。」

「六本木でもストロー現象があるのかね。」

「そうだね。この狭い地域でも、サントリーホールのあるアークは薄暗くなってしまい、ヒルズに盛りがついた。でも最近は陰りがあるらしい。旧防衛庁跡にできる外資系のまわりにはこれからどんなストーリーが待っているのか。でもストローというよりも気まぐれな移ろいのようでもあるね。都会の人間の気の変わりようは光のようにはやく線香花火のようにむなしい。」

「ところでお河童様は生まれた時からここらあたりをハイカイしていたのかね。」

「生まれた時は河童でも赤ちゃんだからね。1842年生まれとはいえここらあたりを徘徊し始めたのは、泡と消えた山●証券の別の某悪友とだったから、始まりはたかだか20年ぐらい前だと思うよ。」

「ほうおもしろそうだな。その話はいつきかせてくれるんだい。」

「夜な夜な六本木界隈を徘徊して歩いていたな。飲む前に防衛庁の正門に向かって君が代を一発ぶちかましたかどうか記憶は定かでないけれども、あすこのコーナーの公衆トイレの隣におでん屋台があって、あるとき、河童好物の〆サバならぬシソ巻きを全部食ってしまったことがあった。16串ぐらいだろうか。商売あがったり、ってよろこんでいた初老の元気オヤジの彼女はまだ20代とかいう噂が広まっていたね。こんな長たらしい話つまらないだろう。山●との話は国外までさかのぼるし。またいつか話してあげるよ。」

「そうだな。今日の目的は別だ。」

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「ほら、そこのブラックホールのような入口があるだろう。」

「おおっ。本当だ。光さえ吸い込んでしまいそうなところだな。なるほど六本木だ。サントリーホールの演奏会の後いつもいくおばんざいは反対側の通りだから、近くて遠いっていう感じだね。」

「そうだね。でもブラックホールに河童好物の〆サバはないと思うよ。」

「そこまでは求めない。はやく入ろう。ちょっと待った。お店の名前を確認しておこう。」

CASK

S「樽、か。いい名前だ。はやく飲もう。」

「急がば回れ。」

「善は急げ。」

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1 カスクをカクス

2006-12-11 00:01:00 | 六本木にて

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静かな悪友S「カスクってぇのはどういう意味なんだい。」

河童「樽らしい。」

「木樽かい。」

「そうだね。ドラム缶じゃない。」

「その木樽でお酒が寝てるのかい。」

「そうらしい。」

「木の効果は?」

「僕は思うんだ。木は気に通じるんだ。空気の気、大気、雰囲気、気配、色気。。

大地に根をはやした木は地上の全ての気を吸い、呼吸しているんだ。その深い呼吸がしみこんだ木で作られた樽でお酒が寝てるんだ。ある意味良いウィスキーが出来上がるのはむしろ当然ではないのかな。」

「なるほど。でも多けりゃいいってもんでもないだろ。」

「どういう意味?」

S「森林さんって知ってるかい。もりばやしさんって。」

河童「わからん。」

「気が多い人間をもりばやさんっていうんだ。この漢字、見てごらん。木が5本もある。」

「森森さんだと6本だな。」

「気が多すぎるのも問題だ。じゃぁ、うどの大木(たいぼく)って知ってるかい。」

「役立たずのことかい。」

「うどの大森(たいもり)ってのは?」

「それならよく知ってるよ。IT革命を、イト革命って読んだ亡国の首相だろう。木が3本の。」

「よく知ってるね。」

「そりゃそうさ。君、学校の後輩だろうが。」

「すまん。かえり血だね。」

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S「それでその熟成なんだが、ホワイトオークの樽で寝てるだけでいい酒ができるのかね。」

河童「僕は思うんだ。使用済みの樽もいいけど、まっさらな樽を使って欲しいときもあるね。」

「たとえば?」

「そうだね。真新しい樽に寝かせながら、音楽を鳴らし続けるというのはどうかな。1年でも2年でも10年でも。」

「蒸留所で音楽をね。でも生演奏を10年も続けるわけにはいかんな。」

「そうさ。本当はグラスゴーのスコティッシュ・ナショナル管弦楽団のような透徹した透明感のあるサウンドでも鳴らし続けたいところだが、そうもいくまい。

今はオートチェンジャーのCDプレーヤーがあるから停電でもない限り鳴らし続けることができるわけさ。」

「いい考えだ。で、誰の曲を?」

「それなんだ、問題は。どんな周波数の波長を流せば、樽にどのような振動をもたらし、それがお酒にどのような効果があるのか。これって誰も何も今まで検証してないよね。ときが長いだけに実地検証は無理だ。」

「じゃ、想像してみよう。」

「まず、ベートーヴェンはだめだね。特に中期のドツキの音楽はお酒に悪い。音楽の浮き沈みが激しすぎて、寝かせるというよりもお酒を起こしてしまう。」

「モーツァルトなんかはあまりにもつきなみで面白みがない。新しいのになめらか過ぎるみたいな。」

「そうだな。ショスタコーヴィッチあたりの音楽も少しすっぱ過ぎるしね。」

S「困った。」

河童「僕のイメージはあるよ。それはマルティヌーだね。」

「へぇ、マルティヌーね。」

「そう、ミニマル風に繰り返すさざ波。満ちては引く無限感。ときにビートで目覚め、あるときは予定調和的な美しいハーモニーを奏でる。いい音楽だ。」

「この音楽で埋め尽くされたウィスキーを一度飲んでみたい。」

「そうだね。」

「じゃぁ、どうしてもこの一曲を選べって言われたらどうする。」

「それもあるよ。それはウェーベルンの‘夏の風の中で’だね。さわやかだけど全てがストーン・ペイヴメントで敷き詰められたような。ポットスチルが3個書いてあった絵のかつての‘バラの岸’がこの曲で満たされていたらどんなにうまかったことか。締まった軽さというか、加水時の空気感とウェーベルンの初期傑作の周波数が同時にマチュアしていい感じだったと思うよ。」

「よだれが出そうだ。つまみはなんだ。」

「指揮棒とオーケストラ。」

「さて、今晩のお話もだいぶ酔っぱらってきたね。」

「最初から酔ってる。」

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S「ところで、カクスってぇのはどういう意味なんだい。」

河童「カクスってぇのは、隠すっていうこじゃないか。」

「何を。」

「そうだね。探されてもいないのに隠す。当たった2億円のロトシックスみたいなものだな。だまってりゃ誰にもわからないのに、何故か隠したくなる。だれも探してるわけじゃないのに隠したくなる。ここにあるよって、自分から意思表示してるようなもんだ。」

「だから酒飲みはみんな論理が飛ぶのか。」

「そうともいえる。良く言えば飛躍的にね。」

「手がつけられんな。それでなにか隠したいものでもあるのかね。」

「しゃべってしまったら隠したことにならないじゃないか。」

「そうれはそうだが、秘密は告白のためのプレリュードとも言う。」

「なかなかいいこと言うじゃないか。モリ君の後輩とは思えん。君もそろそろ酔いがまわってきたな。」

「いいから、それで?」

「最近、六本木にいいお酒を飲ませてくれるお店があるらしい。」

「おっ、河童バーだな。」

「いやいや、河童は余計だぁ。」

「じゃぁ、バーなんとか?」

「河童もバーもつかない名前だったと思うよ。これからちょっと行ってみようか。」

「おっ、今晩もお河童さまのお供が出来るってわけだ。今日はどこに連れってくれるんだろう。」

「今日もハシゴだね。六本木の夜は長いし。」

「はいはい。」

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Webern  Im SommerWnid (1904)

ウェーベルン作曲

夏の風の中で (1904年作曲)

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