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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

西川如見 『増補 華夷通商考』(1708・宝永五年)

2013年11月06日 | 地域研究
 飯島忠夫/西川忠幸校訂『日本水土考・水土解弁・増補 華夷通商考』(岩波文庫 1944年8月第1刷 1988年11月第2刷)所収。同書61-194頁。

 巻1-2。中国部分。
 江蘇・安徽省を合せて南京省としてある。つまり明代から清初にかけて(1667年まで)の南直隷の行政地理的区分のままということだ。湖北・湖南省も、「湖広省」と、明代および清初のまま(1664年まで)になっている。
 チベット・新疆は中国(清)の領域内に含まれていない。添付「中華十五省之略図」においても同じ。
 地名で日本漢字音に加え中国音を片仮名表記してある箇処があるが、今日の普通話ならjの音になる所をkで示してある。浙江を「チエツキヤン」など。
 巻3-5。「外国」「外夷」部分
 巻3。朝鮮(てうせん)・琉球(りうきう)・太寃(たいわん)、東京(トンキン)・交趾(カウチ)と、琉球が、李朝朝鮮・台湾・黎朝ベトナム)・交趾(現在のベトナム中部・広南阮氏領域)と並んで「外国」として挙げられている。
 同巻、冒頭、「外国」と「外夷」の定義と区別とが為されている。前者は「唐土の外(ほか)なりと云ども、中華の命に従ひ、中華の文字を用ひ、三教〔儒仏道〕通達の地」であり、後者はその基準を満たさない残りの地球上の国と地域であるとされている。つまり「外国」として分類された五カ国のあとは全5巻の最後まで、すべて「外夷」の項となる。
 添付「地球万国覧之図」には、オーストラリア大陸が存在しないことを除き、南北アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、南極にいたるまでが表示されている(中央を赤道が通っている)。当然ながらそれら各所に存在する国/地域についても列挙・紹介されている。
 なお巻3「朝鮮」条に、「〔朝鮮の〕官人対馬へ隔年に出仕すと云」とある。


浅井祥仁 『ヒッグス粒子の謎』

2013年11月03日 | 自然科学
 古典物理学では真空の中にはなにもないが、量子力学ではヒッグス粒子が存在する。
 志筑忠雄は『暦象新書』において、真空中には何もないわけではないと主張したが、それは彼が量子力学を知っていたからでも素粒子の存在を見通していたからでもない。
 彼は、真空を作るガラス管は光を通す、光も気で出来ている、光がガラス管を通るということは気がガラス管を通るということである、故に真空のなかにも気はあるという理屈で、真空の存在を否定したのである。
 さらに踏みこんで言えば、朱子学(の気の理論)は真空の存在を想定していないから、「真空などというものは存在しない」という彼の結論は最初から決まっていたのである。つまり志筑は聡明であるがために真空を否定したのではなく、頑迷であるがゆえに真空を認めなかったのである。

(祥伝社新書 2012年9月)

西川如見 『日本水土考』

2013年11月03日 | 社会科学
 飯島忠夫/西川忠幸校訂『日本水土考・水土解弁・増補 華夷通商考』(岩波文庫 1944年8月第1刷 1988年11月第2刷)所収。同書13-26頁。
 
 西川如見が著作で使う「理」或いは「道理」という言葉は全て、倫理と物理の未分化な朱子学のそれ(理一分殊、理気二元論)である。彼はそれ以外の理を想定しない。彼は地球が丸いことを知っており、日本の位置を経度と緯度で表示する。しかしなお宇宙がこの理で動いていると信じて疑わない。
 このような、“理”をめぐる西川(1648-1724)の楽観性に、志筑忠雄(1760-1806)に見られるような苦渋の跡が見られないのは、時代の差か、あるいは個人の学識と思索の差か。

鈴木敏夫 『風に吹かれて』

2013年11月03日 | 映画
  やんなきゃいけないと思ったんですよ。でないと僕っていう人間が駄目になる。

 247頁の鈴木さんの一言、練達のインタビューアー渋谷陽一さんの、食らい付いて離れぬ粘りが引き出した本音か、それとも渋谷さんの狙いを先読んで、最もふさわしい場所でその狙い通りのセリフを吐いて見せた鈴木さんの演出か。

(中央公論新社 2013年8月)

李甦平 『朱之瑜評伝』

2013年11月02日 | 伝記
 朱之瑜は朱舜水の本名(諱)。
 おおむねのところ、朱は正統的な儒教(朱子学)の徒であるという評価である。
 では朱の偉い所以は何か。この書の言うところは以下の四点である。

 1. 空疎な観念を持てあそぶのではなく実学を目指した。
 2. 日本の思想史、特に水戸学に影響を与えた。
 3. 董仲舒を評価し、今文学・公羊学を重視した。彼は常州学派の“開源者”である。
 4. 明に忠誠を尽くし清に抵抗した(漢)民族の志士である。
 
(南京大学出版社 2009年6月)

山本ひろ子 『中世神話』

2013年11月02日 | 日本史
 もちろん中世神話は、いわゆる起源神話と同じ位相に位置しているわけではない。中世に作成された、おびただしい注釈書・神道書・寺社縁起・本地物語などに含まれる、宇宙の創世や神々の物語・言説を、「中世神話」と呼ぶまでのことである。 (「序章 中世神話への招待」 4頁)

 〔本書は〕難解で混沌とした中世の神道書を、中世神話として読もうとする試みといえるだろう。 (同上 9頁)

 儒教経典における注釈(注・疏)の読解にも応用できないか。「前漢代経典(今文学)」「後漢代経典(古文学)」「魏晋南北朝唐代経典(玄学また訓詁学)」「宋代経典(朱子学)」「明代経典(陽明学)」「清代経典(考証学また今文学)」等々。
 
(岩波書店 1998年12月)