2009年08月11日「加藤弘一『Literary Homepage ほら貝』 から」より続き。
2009年04月29日「上田信 『伝統中国 〈盆地〉〈宗族〉にみる明清時代』 から」の補足。
漢族が何回も分枝を繰り返して分裂したとしても、分かれたもの同士が同質であり続けると感じ取れる理由は、漢族が「親」と「子」のあいだになにか共通のものが流れている、と感じるからである。この「なにか共通のもの」を、古代の漢族の知識人たちは〈気〉と名づけた。漢族は心臓のなかに、一本の〈気〉の流れを感じ続けている。〈気〉とはなにか説明することはむずかしい。なぜなら漢族の発想の根底にある感覚なのであり、これ以上は因数分解できない素数のような言葉であるからである。漢族が〈気〉の思想を生み出したと考えるべきものではなく、〈気〉の発想が生まれたときに漢族が成立したと考えるべきであろう。〔略〕〈気〉とは宇宙を活動させている「活力」であり、天地・物質・人間などのすべてを貫いて流れ、時間・空間をまとめ上げている「秩序」を形成する。比喩的にのべれば、電気がさまざまな現象を生じさせ、電気が流れるところに磁場を作るようなものである。 (「第二章 親子関係は宗族(リニージ)をどう生み出すか」 本書93-94頁)
漢族は〈気〉が骨を媒介にして「親」から「子」へと流れると感じている。そして、骨は父親から、肉は母親から引き継がれるのだと信じている。ムスコは父親から引き継いだ〈気〉を自分の子に受け継がせることができるが、ムスメは彼女が産んだ子に〈気〉を伝えることはできない。女性は〈気〉の流れに対して、つねに受動的な立場に置かれる。ムスコが何人かいた場合、それぞれのムスコが父親から受け継いだ〈気〉は、完全に同質なものである。この父親から子への〈気〉の流れが形成する磁場が〈家族〉である。 (「第二章 親子関係は宗族(リニージ)をどう生み出すか」 本書94頁)
父親から子へと流れる〈気〉を過去にたどることで、漢族に特有な親族関係が形成される。〔略〕二人以上の人間が、みずからの身体に流れている〈気〉の共通の来源として認識した過去の人物のことを、漢族は〈祖〉とよぶ。すでにこの世に存在しない〈祖〉から〈子孫〉へと向かう〈気〉の流れが形成した磁場は〈宗族〉とよばれ、この磁場のなかに形成された秩序は〈宗法〉とよばれる。 (「第二章 親子関係は宗族(リニージ)をどう生み出すか」 本書94頁)
宗族(一族)とは、血のつながりではなく、骨、気のつながりということである。気が凝って骨となる。ここでは血は――しかも父方の血のみだが――、せいぜい、骨となる気の運び手にすぎないらしい。
宗法について、別に「〈気)の摂理である」(94頁)という説明もなされているが、「〈気)の流れが形成した磁場」よりも、こちらのほうが解りやすい。そもそも気を電気にたとえるのは適切かどうか。気は万物の構成要素(つまり元素)であるとも説明されるのだから、たんなる「活力」ではあるまい。
(講談社 1995年1月)
2009年04月29日「上田信 『伝統中国 〈盆地〉〈宗族〉にみる明清時代』 から」の補足。
漢族が何回も分枝を繰り返して分裂したとしても、分かれたもの同士が同質であり続けると感じ取れる理由は、漢族が「親」と「子」のあいだになにか共通のものが流れている、と感じるからである。この「なにか共通のもの」を、古代の漢族の知識人たちは〈気〉と名づけた。漢族は心臓のなかに、一本の〈気〉の流れを感じ続けている。〈気〉とはなにか説明することはむずかしい。なぜなら漢族の発想の根底にある感覚なのであり、これ以上は因数分解できない素数のような言葉であるからである。漢族が〈気〉の思想を生み出したと考えるべきものではなく、〈気〉の発想が生まれたときに漢族が成立したと考えるべきであろう。〔略〕〈気〉とは宇宙を活動させている「活力」であり、天地・物質・人間などのすべてを貫いて流れ、時間・空間をまとめ上げている「秩序」を形成する。比喩的にのべれば、電気がさまざまな現象を生じさせ、電気が流れるところに磁場を作るようなものである。 (「第二章 親子関係は宗族(リニージ)をどう生み出すか」 本書93-94頁)
漢族は〈気〉が骨を媒介にして「親」から「子」へと流れると感じている。そして、骨は父親から、肉は母親から引き継がれるのだと信じている。ムスコは父親から引き継いだ〈気〉を自分の子に受け継がせることができるが、ムスメは彼女が産んだ子に〈気〉を伝えることはできない。女性は〈気〉の流れに対して、つねに受動的な立場に置かれる。ムスコが何人かいた場合、それぞれのムスコが父親から受け継いだ〈気〉は、完全に同質なものである。この父親から子への〈気〉の流れが形成する磁場が〈家族〉である。 (「第二章 親子関係は宗族(リニージ)をどう生み出すか」 本書94頁)
父親から子へと流れる〈気〉を過去にたどることで、漢族に特有な親族関係が形成される。〔略〕二人以上の人間が、みずからの身体に流れている〈気〉の共通の来源として認識した過去の人物のことを、漢族は〈祖〉とよぶ。すでにこの世に存在しない〈祖〉から〈子孫〉へと向かう〈気〉の流れが形成した磁場は〈宗族〉とよばれ、この磁場のなかに形成された秩序は〈宗法〉とよばれる。 (「第二章 親子関係は宗族(リニージ)をどう生み出すか」 本書94頁)
宗族(一族)とは、血のつながりではなく、骨、気のつながりということである。気が凝って骨となる。ここでは血は――しかも父方の血のみだが――、せいぜい、骨となる気の運び手にすぎないらしい。
宗法について、別に「〈気)の摂理である」(94頁)という説明もなされているが、「〈気)の流れが形成した磁場」よりも、こちらのほうが解りやすい。そもそも気を電気にたとえるのは適切かどうか。気は万物の構成要素(つまり元素)であるとも説明されるのだから、たんなる「活力」ではあるまい。
(講談社 1995年1月)