書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「米司法省、CIAの過酷尋問示す文書を公開 『子ども殺す』と脅迫も」 から

2009年08月27日 | 抜き書き
▲「AFPBB News」2009年08月25日 11:35 発信地:ワシントンD.C./米国。 (部分)
 〈http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2633897/4492629

 【8月25日 AFP】米司法省は24日、中央情報局(Central Intelligence Agency、CIA)が海外の秘密拘束施設で行った重要テロ容疑者への過酷な尋問について、CIAのジョン・ヘルガーソン(John Helgerson)統括監察官(当時)が2004年にまとめた機密文書の一部を公開した。この文書によると、CIAの尋問官は容疑者に対し、「母親をレイプする」「子どもを殺す」などと脅迫したほか、電気ドリルを体のそばに近づけるなどの行為を行ったという。文書は連邦判事の命令で公開された。

 尋問ではなく拷問。理由はどうあれまったく弁護できない行為。

「中国、チベットの遊牧民5万人を定住させる 新華社通信」 から

2009年08月27日 | 抜き書き
▲「AFPBB News」2009年08月25日 11:05 発信地:北京/中国。
 〈http://www.afpbb.com/article/politics/2633890/4492528

 【8月25日 AFP】中国当局は、チベット山岳地帯の生態系を保護する目的で、約5万人の遊牧民を定住させたと、国営新華社(Xinhua)通信が24日報じた。
 過去4年間で、チベット高原で遊牧する4万9631人が、定住者の集落に編入されたという。アジアの主要河川である黄河(Yellow Rivers)、長江(揚子江、Yangtze)、メコン川(Mekong)の源流ともなっている同地域の生態系を過放牧から保護するための措置だという。
 これについて亡命チベット人の活動家らは、古代から続くチベットの放牧文化を破壊するものだと強く非難している。
 国営新華社通信は、地元政府役人の話として、定住した遊牧民には職業訓練などが提供され、起業を促進するための基金も創設されていると報じている。

 傲慢、乱暴、無神経、独善。そこまで環境を破壊したのはいったい誰だ。 

「『人民日報』論評、民族地区自治制度が強大な生命力を持つ」 から

2009年08月27日 | 抜き書き
▲「CRI Online(日本語)」2009-08-26 14:40:27、翻訳:huangjing。(部分)
 〈http://jp1.chinabroadcast.cn/881/2009/08/26/1s145920.htm

 『人民日報』は26日の評論で、「この展示会を通じて、新中国成立60年間、少数民族地区が経済、政治、文化、社会などの面で大きな進歩を遂げ、民族自治制度という中国モデルは強大な生命力を持つことがわかった」としました。

 2009年05月24日「津田左右吉 『支那思想と日本』 から①」における指摘の好例。またか。
 「としました」という日本語、意図してなら、なかなかおもしろい。

Owen Lattimore 『Manchuria: Cradle of Conflict』

2009年08月27日 | 東洋史
 2009年07月09日「護雅夫/神田信夫編 『北アジア史(新版)』 から」で述べた実例の報告あり(もっとも内モンゴルではなくそれに隣接する満洲の Jehol=熱河地方だが)。
 ラティモアは、同地方の雑居地帯におけるモンゴル人の漢化とその反対の漢人のモンゴル化の現象を、ともに "going native"(あるいは過去形で "went native")という言葉で表現している。

 These Mongols are very much mixed in physical type. They are almost all bilingual from Chindhood, but the women are less fluent in Chinese than the men. Their clothes are a mixture of Mongol and Chinese, but those of the men are more Chinese, and those of the women are Mongol. Their family shrines are also a mixture of Mongol and Chinese, with Chinese elements predominating, as is natural to people living in the houses; but they are as hospitable to lamas as are other Mongols. Most significant of all, they frequently have a Chinese family name as well as Mongol clan name and personal names. All of these indications point to the fact that many of them must be descended from Chinese frontiersmen who "went native"; and whose descendants elected to migrate with the Mongols rather than remain in the land permanently occupied by the Chinese advance.(1)  ("Conquest and compromise," p. 57)

 ラティモアは、これらのモンゴル人を、漢化したモンゴル人ではなく、古い時代にこの地に入植した漢人がモンゴル化したものと見なす。
 ラティモアはさらに、この箇所に付けた脚注で、興味深い洞察を提示する。彼は、最近の30年間――19世紀末乃至20世紀初頭以来――の、あらたな大量の漢人による入植の結果、これら久しくモンゴル人化していた漢人がふたたび漢人へと戻りつつあると言う。つまり、ラティモアは、清末以来のモンゴル地域におけるいわゆる漢化の現象を、単純なモンゴル人の漢人への文化的・人種的な同化としてみるのではなく、すくなくとも部分的には、いったんはモンゴル人に同化されていた漢人が本卦がえりしつつある過程として見るべきだと主張するのである。

 (1) There are instances, however, of the reversal of this process of "going native." Thus in the Jehol region numbers of families can be found which were originally Chinese, but "turned Mongol" after penetrating well into Mongol territory. Since the overwhelming advance of the Chinese in that region in the last thirty years, these "Mongol" families are now "turning Chinese."  ("Conquest and compromise," p. 57) 

 こういう双方向の同化現象、つまり融合は、はたして新疆やチベットでも見られたのか、あるいは見られつつあるのか。見られるとして、その質と量は如何なるものか。
 
(New York: Macmillan, 1932)