▲「47ニュース」2009/04/25 19:03、「共同通信」。 (部分)
〈http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042501000526.html〉
国連では当時、中華民国(台湾)を追放し、中国を承認する「中国代表権問題」が大詰めを迎えていた。中国の常任理事国入りで「格下」となる日本が不満を募らせ、右傾化することを恐れた米国が安保理改革とは直接関係なく、常任理事国入りを支持するに至った経緯が判明した。
文書は56年に国連加盟を果たした日本が「大国と認知されたがっている」と分析。日本にとって常任理事国入りは「一流国」の条件の「主要な要素」となっており、中国が常任理事国になれば「日本はアジアのナンバー2として振る舞うことに大変な苦痛を感じるだろう」と述べた。
「大国と認知されたがっている」。71年ならそうだったのだろう。東京オリンピックは64年、万博は70年。あるいは遅く80年代のバブル期にも、内容が経済的な方面へと変質したうえで、その傾向はなお明滅したかもしれない。しかし今日、そうだろうか。政治家や官僚や財界の人々はどうか知らないが。
この文書は米国立公文書館のニクソン大統領図書館に保管されている公文書。キッシンジャー大統領補佐官が仕切る当時のホワイトハウス国家安全保障会議が中心となって作成した。
なにせ部下にさえ後年、「日本のことを全く知らないし知ろうともしなかった」と批判された、日本嫌いのキッシンジャーの決めたことである。
同年の北京秘密訪問の際に周恩来との間でもたれた機密会談の記録を見る限り、当時のキッシンジャーの日本(人)観には、多分に“日本異質論”に基づく偏見が入っている(例えば10月22日第4回会談)。あの時点の日本に対する見方としてはある程度有効だったと思うが、以後40年、現在に至るまで、以後の米国政府の日本(人)観がキッシンジャーのそれを踏襲しているとするならば、そろそろ認識を修正したほうがよいかもしれない。外国人や外国文化に対する感受性の鈍さや自文化の持つ求心性による偏狭な視点は、いまや日本人よりも中国人のほうが際だってきている。
それにつけても思うのは、2005年の反日デモの原因である。いまだに私にはよく分からないのだが、もしあれが日本の国連常任理事国入りへの嫌悪が原因でありその阻止が本当に目的だったとすれば、あのデモを真剣に企画し、かつ/あるいは参加した中国人の日本理解は70年代初頭のままということになる。愚かしく、恐るべく、憂うべし。
〈http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042501000526.html〉
国連では当時、中華民国(台湾)を追放し、中国を承認する「中国代表権問題」が大詰めを迎えていた。中国の常任理事国入りで「格下」となる日本が不満を募らせ、右傾化することを恐れた米国が安保理改革とは直接関係なく、常任理事国入りを支持するに至った経緯が判明した。
文書は56年に国連加盟を果たした日本が「大国と認知されたがっている」と分析。日本にとって常任理事国入りは「一流国」の条件の「主要な要素」となっており、中国が常任理事国になれば「日本はアジアのナンバー2として振る舞うことに大変な苦痛を感じるだろう」と述べた。
「大国と認知されたがっている」。71年ならそうだったのだろう。東京オリンピックは64年、万博は70年。あるいは遅く80年代のバブル期にも、内容が経済的な方面へと変質したうえで、その傾向はなお明滅したかもしれない。しかし今日、そうだろうか。政治家や官僚や財界の人々はどうか知らないが。
この文書は米国立公文書館のニクソン大統領図書館に保管されている公文書。キッシンジャー大統領補佐官が仕切る当時のホワイトハウス国家安全保障会議が中心となって作成した。
なにせ部下にさえ後年、「日本のことを全く知らないし知ろうともしなかった」と批判された、日本嫌いのキッシンジャーの決めたことである。
同年の北京秘密訪問の際に周恩来との間でもたれた機密会談の記録を見る限り、当時のキッシンジャーの日本(人)観には、多分に“日本異質論”に基づく偏見が入っている(例えば10月22日第4回会談)。あの時点の日本に対する見方としてはある程度有効だったと思うが、以後40年、現在に至るまで、以後の米国政府の日本(人)観がキッシンジャーのそれを踏襲しているとするならば、そろそろ認識を修正したほうがよいかもしれない。外国人や外国文化に対する感受性の鈍さや自文化の持つ求心性による偏狭な視点は、いまや日本人よりも中国人のほうが際だってきている。
それにつけても思うのは、2005年の反日デモの原因である。いまだに私にはよく分からないのだが、もしあれが日本の国連常任理事国入りへの嫌悪が原因でありその阻止が本当に目的だったとすれば、あのデモを真剣に企画し、かつ/あるいは参加した中国人の日本理解は70年代初頭のままということになる。愚かしく、恐るべく、憂うべし。