題名下、「明治35年12月10日『聖書之研究』29号「講演」 署名 内村鑑三」の但し書き有り。
「宗教の大敵」のもととなった講演の全文。「宗教の大敵」は分量として全体の約6分の1、内容的には最後部分に当たる(澁谷浩「解題」)。
殊に私共が信仰の初期に於て感じた困難は何であるかと申しまするに、それは愛国心と基督教の衝突であります、其衝突は今日吾々日本人が基督教を信ずる時に必ず免るべからざる衝突であります、〔中略〕それ故に私共基督教を信じました時に、先づ第一に決断をした事は何であるかと云ふと、私共は基督教を信じやう、基督教は信ずるけれども外国人からは金は一文も貰ふまい、基督教を信じても外国にある何派とか何教会とか云ふ者とは一切関係を絶つて吾々日本人は日本人で基督教を信じやう、日本国の着物を着せた基督教を此国に拡めやう、と斯う云ふ考を起しました、 (418頁-419頁。太字部分は原文傍点または○点または◎点)
はたして妥当かどうかは分からないが、一つの筋の通し方である。江戸時代から明治にかけての教養ある階層の日本人は神経質すぎるぐらいに物事の筋目をきちんと立てたものだという、海音寺潮五郎氏の言葉を思い出した。
(『内村鑑三全集』第10巻、岩波書店、1981年、同書415-427頁)
「宗教の大敵」のもととなった講演の全文。「宗教の大敵」は分量として全体の約6分の1、内容的には最後部分に当たる(澁谷浩「解題」)。
殊に私共が信仰の初期に於て感じた困難は何であるかと申しまするに、それは愛国心と基督教の衝突であります、其衝突は今日吾々日本人が基督教を信ずる時に必ず免るべからざる衝突であります、〔中略〕それ故に私共基督教を信じました時に、先づ第一に決断をした事は何であるかと云ふと、私共は基督教を信じやう、基督教は信ずるけれども外国人からは金は一文も貰ふまい、基督教を信じても外国にある何派とか何教会とか云ふ者とは一切関係を絶つて吾々日本人は日本人で基督教を信じやう、日本国の着物を着せた基督教を此国に拡めやう、と斯う云ふ考を起しました、 (418頁-419頁。太字部分は原文傍点または○点または◎点)
はたして妥当かどうかは分からないが、一つの筋の通し方である。江戸時代から明治にかけての教養ある階層の日本人は神経質すぎるぐらいに物事の筋目をきちんと立てたものだという、海音寺潮五郎氏の言葉を思い出した。
(『内村鑑三全集』第10巻、岩波書店、1981年、同書415-427頁)