イギリスは、当初チベットに関しては清帝国(=China)の「主権」を前提として対話姿勢を見せたものの、北京とラサの間の不協和音から次第に清帝国の対チベット「主権」の存在を疑い、ついに一九〇三~〇四年にはチベットを実質的独立国家とみなして侵略したのである。 (平野聡「第八章 チベット社会―歴史と現代化」、「2 『現代化』の最初の波」、本書172頁)
もっとも、清当局はイギリスとの交渉や近代国際法への適応を通じ、すでに一九八〇年代にはチベットに対する自らの権力を「主権」と認識していた。 (平野聡「第八章 チベット社会―歴史と現代化」、「2 『現代化』の最初の波」、本書172頁)
(世界思想社 2001年7月)
もっとも、清当局はイギリスとの交渉や近代国際法への適応を通じ、すでに一九八〇年代にはチベットに対する自らの権力を「主権」と認識していた。 (平野聡「第八章 チベット社会―歴史と現代化」、「2 『現代化』の最初の波」、本書172頁)
(世界思想社 2001年7月)