日本陸軍が仮想敵国をロシアから中国(清)へと変えたのは明治15・1982年6月の朝鮮事変(壬午事変)および8月の済物浦条約締結以後。同年8月15日山県有朋の軍事費増加要望の上申および同年12月地方間会議における発言の例。
中国が「日本を仮想敵国として意識する」ようになるのは明治12・1879年3月の琉球処分以後。同年11-12月にかけ、両江総督沈保の軍事探偵・王之春が中国から日本へと派遣され、各地の軍備や地理をはじめとする日本の諸事情を調査し、『談瀛録』として報告している事実。
(「五 日清戦争以前における日中両国の相互国情偵察について」、本書143-146頁から)
(吉川弘文館 1984年3月)
中国が「日本を仮想敵国として意識する」ようになるのは明治12・1879年3月の琉球処分以後。同年11-12月にかけ、両江総督沈保の軍事探偵・王之春が中国から日本へと派遣され、各地の軍備や地理をはじめとする日本の諸事情を調査し、『談瀛録』として報告している事実。
(「五 日清戦争以前における日中両国の相互国情偵察について」、本書143-146頁から)
(吉川弘文館 1984年3月)