書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

杉村濬 『明治廿七八年在韓苦心録』

2009年04月28日 | 東洋史
 自らと明治国家の対韓政策を正当化するのが執筆・出版の目的であるという評価(注1)や、本書が持つ「限界」についての指摘(注2)はあるが、他の基本資料とつきあわせて内容を細かく検証・分析した研究が、インターネット上にはどうも見あたらない。工具書を見ても、平凡社の『東洋史料集成』には著者名・書名と出版社・出版年しか記されていないし、同朋舎『アジア歴史研究入門』巻2の「朝鮮」部分には名前すら挙がっていない。

 注1。 『日韓外交史料』第10巻(市川正明編、原書房、1981年11月)、「解説」。
 注2。 同上。

(『朝鮮の群衆・明治廿七八年在韓苦心録 (韓国併合史研究資料) 』 龍渓書舎 2003年6月復刻版)

佐藤三郎 『近代日中交渉史の研究』

2009年04月28日 | 東洋史
 日本陸軍が仮想敵国をロシアから中国(清)へと変えたのは明治15・1982年6月の朝鮮事変(壬午事変)および8月の済物浦条約締結以後。同年8月15日山県有朋の軍事費増加要望の上申および同年12月地方間会議における発言の例。
 中国が「日本を仮想敵国として意識する」ようになるのは明治12・1879年3月の琉球処分以後。同年11-12月にかけ、両江総督沈保の軍事探偵・王之春が中国から日本へと派遣され、各地の軍備や地理をはじめとする日本の諸事情を調査し、『談瀛録』として報告している事実。

 (「五 日清戦争以前における日中両国の相互国情偵察について」、本書143-146頁から)

(吉川弘文館 1984年3月)

池田信夫 『ハイエク 知識社会の自由主義』 から

2009年04月28日 | 抜き書き
 きょうまで太陽が東から昇ったことは、あすも東から昇ることの根拠にはならない。「合理的」な推論にもとづいて経験的事実から「帰納」されたようにみえる因果関係は、実際には「習慣にもとづいた蓋然性」の認識にすぎない。 (「第一章 帝国末期のウィーン」 本書24頁)

 私もそう思う。これまでそうだったからといって今回もそうであるとは限らない。確かめる必要がある。と昔から思ってきたし、そう口に出して言ってもきたが、あまり賛同を見たことはない。「そうかもしれないが、そんなことを気にしていては、毎日生活していられない」「仕事ができない」が平均的な回答である。「常識がない」「アホちゃうか」、ひどい場合は「キ○○イ」というのもあった(ただしこれは話す相手を間違えたこちらの責任)。大抵は無反応。

(PHP研究所 2008年9月)

佐々木信彰編 『現代中国の民族と政治』 から

2009年04月28日 | 抜き書き
 イギリスは、当初チベットに関しては清帝国(=China)の「主権」を前提として対話姿勢を見せたものの、北京とラサの間の不協和音から次第に清帝国の対チベット「主権」の存在を疑い、ついに一九〇三~〇四年にはチベットを実質的独立国家とみなして侵略したのである。 (平野聡「第八章 チベット社会―歴史と現代化」、「2 『現代化』の最初の波」、本書172頁)

 もっとも、清当局はイギリスとの交渉や近代国際法への適応を通じ、すでに一九八〇年代にはチベットに対する自らの権力を「主権」と認識していた。 (平野聡「第八章 チベット社会―歴史と現代化」、「2 『現代化』の最初の波」、本書172頁)

(世界思想社 2001年7月)