佐藤〔栄作〕は、岸内閣時代に極度に悪化した日中関係を改善したいという希望をもっていたが、積極的に国交正常化にまで進む意志はなかった。佐藤内閣は、組閣後まもない一九六四年一一月二一月、日本共産党第九回大会に出席するために来日を希望した彭真北京市長の入国を拒否した。その後も中国向け輸出には日本輸出入銀行の融資を認めないという方針を堅持した。 (「第12章 社会的不均衡と環境破壊」、本書265頁)
①彭真北京市長の入国拒否、②中国向け輸出に日本輸出入銀行の融資を認めない、という二つの要素が、佐藤内閣時代の日中関係の極端な悪化の原因であると、考えて良いのだろう。『日中交流と自民党領袖たち』(2008年08月10日欄)で、田川誠一氏も大体同じ立場を取っている。彭真北京市長の件について、田川氏は同書で、両国関係悪化の要因として言及している。
①彭真北京市長の入国拒否、②中国向け輸出に日本輸出入銀行の融資を認めない、という二つの要素が、佐藤内閣時代の日中関係の極端な悪化の原因であると、考えて良いのだろう。『日中交流と自民党領袖たち』(2008年08月10日欄)で、田川誠一氏も大体同じ立場を取っている。彭真北京市長の件について、田川氏は同書で、両国関係悪化の要因として言及している。