2008年07月19日欄、工藤美代子『スパイと呼ばれた外交官 ハーバート・ノーマンの生涯』から続く。
本書はもとリブロポートから1990年5月に出版された『H・ノーマン あるデモクラットのたどった運命』に、全体的な修正のほか「終章 ノーマンの復権」を加筆のうえ改題し、新潮社から2001年11月に出版したもので、著者の中野利子女史は、ノーマンの日本人の友人だった一人、中野好夫の娘さんである。
「ライアン報告書」の「ライアン」はカナダ外務省の依頼を受けて報告書の作成に当たった、オタワのカールトン大学政治学部准教授(当時)ペイトン・ライアンのことだった。正式名は「E・ハーバート・ノーマンの(国家に対する)忠誠」。
「ベルリンの壁」崩壊の翌年になる一九九〇年三月末、カナダ政府は内閣の承認を経ていわゆる「ペイトン・ライアン報告書」を連邦議会に提出した。承認、採択され、ノーマンに関わるスパイ説は終止符を打たれた。「ハーバート・ノーマンがスパイであったという証拠はひとかけらもない」 (「終章 ノーマンの復権」、本書295頁)
しかし、この報告書がノーマンのソ連スパイ説を否定したことが、中野女史の言うとおり「死後三十三年目の、カナダにおける彼の社会的復権」になるにしても、そのことが即、「『ノーマン・スパイ説』に最終的決着をつけたこと」にはならない。この報告書によってハーバート・ノーマンの身の潔白が疑問の余地なく証明されたと主張するためには、まず、報告書自身が信用するにたるものであることを証明しなければならないだろう。
ところが、残念ながらこの書でその証明がなされているとは言いがたい。
この評伝においても、「ライアン報告書」は、「ハーバート・ノーマンがスパイであったという証拠はひとかけらもない」という結論のみの引用である。
しかし中野女史は、この報告書の成り立ちを相当詳しく紹介してくれている。だからそれによって報告書がどのようなものであるかをある程度伺うことはできる。
たとえば、ペイトン・ライアンは「外務省内のノーマンに関する八冊のファイル、約六十のファイルに及ぶ海外任地からのノーマン執筆のレポート(略)、さらにRCMP内部の全資料、国防省当局からは第二次世界大戦中にノーマンが関わった仕事の記録」他を提供されて読んだとのことだ。このことから、同報告書がかなりの密度の高い、そして周到な内容であることが、容易に想像できる。
だがライアン准教授は本当にすべての資料にアクセスできたのだろうか。工藤女史の伝記を経た目には、この疑問が湧くのである。報告書の執筆に当たって、彼はカナダ政府とRCMP(現CSIS)から全面的な協力を受けたという。しかしライアン氏は果たして、工藤女史がその存在を指摘する、公開文書の削除された部分、あるいは非公開扱いとなっている文書を、閲覧することができたか。もしできたうえで(そしてそれら閲覧した資料を引用しながら)至った結論なのであれば、「ライアン報告書」は、大いに説得力を持つだろう。だが「『全国民に向けて公開できる(是でも否でもどちらでもいい)明確な答のある』報告書」(296頁)というのであれば、おそらくそうではなかろうと推察する。著者はこの点に関してこの私の疑問には答えてくれてはいない。この書で報告書の原文が引用されていないことが、かえすがえすも残念である。ちなみに中野女史は、カナダ政府が現在までノーマン関係公文書の公開文書に部分的削除を施し、あるいは文書のあるものについて非公開としていることについて、文中まったく触れるところがない。
7月10日欄の加藤周一編 『ハーバート・ノーマン 人と業績』もそうだったが、「ライアン報告書」がスパイでないと言っているからノーマンはスパイではないという論法は、おかしい。
(新潮社 2001年11月)
本書はもとリブロポートから1990年5月に出版された『H・ノーマン あるデモクラットのたどった運命』に、全体的な修正のほか「終章 ノーマンの復権」を加筆のうえ改題し、新潮社から2001年11月に出版したもので、著者の中野利子女史は、ノーマンの日本人の友人だった一人、中野好夫の娘さんである。
「ライアン報告書」の「ライアン」はカナダ外務省の依頼を受けて報告書の作成に当たった、オタワのカールトン大学政治学部准教授(当時)ペイトン・ライアンのことだった。正式名は「E・ハーバート・ノーマンの(国家に対する)忠誠」。
「ベルリンの壁」崩壊の翌年になる一九九〇年三月末、カナダ政府は内閣の承認を経ていわゆる「ペイトン・ライアン報告書」を連邦議会に提出した。承認、採択され、ノーマンに関わるスパイ説は終止符を打たれた。「ハーバート・ノーマンがスパイであったという証拠はひとかけらもない」 (「終章 ノーマンの復権」、本書295頁)
しかし、この報告書がノーマンのソ連スパイ説を否定したことが、中野女史の言うとおり「死後三十三年目の、カナダにおける彼の社会的復権」になるにしても、そのことが即、「『ノーマン・スパイ説』に最終的決着をつけたこと」にはならない。この報告書によってハーバート・ノーマンの身の潔白が疑問の余地なく証明されたと主張するためには、まず、報告書自身が信用するにたるものであることを証明しなければならないだろう。
ところが、残念ながらこの書でその証明がなされているとは言いがたい。
この評伝においても、「ライアン報告書」は、「ハーバート・ノーマンがスパイであったという証拠はひとかけらもない」という結論のみの引用である。
しかし中野女史は、この報告書の成り立ちを相当詳しく紹介してくれている。だからそれによって報告書がどのようなものであるかをある程度伺うことはできる。
たとえば、ペイトン・ライアンは「外務省内のノーマンに関する八冊のファイル、約六十のファイルに及ぶ海外任地からのノーマン執筆のレポート(略)、さらにRCMP内部の全資料、国防省当局からは第二次世界大戦中にノーマンが関わった仕事の記録」他を提供されて読んだとのことだ。このことから、同報告書がかなりの密度の高い、そして周到な内容であることが、容易に想像できる。
だがライアン准教授は本当にすべての資料にアクセスできたのだろうか。工藤女史の伝記を経た目には、この疑問が湧くのである。報告書の執筆に当たって、彼はカナダ政府とRCMP(現CSIS)から全面的な協力を受けたという。しかしライアン氏は果たして、工藤女史がその存在を指摘する、公開文書の削除された部分、あるいは非公開扱いとなっている文書を、閲覧することができたか。もしできたうえで(そしてそれら閲覧した資料を引用しながら)至った結論なのであれば、「ライアン報告書」は、大いに説得力を持つだろう。だが「『全国民に向けて公開できる(是でも否でもどちらでもいい)明確な答のある』報告書」(296頁)というのであれば、おそらくそうではなかろうと推察する。著者はこの点に関してこの私の疑問には答えてくれてはいない。この書で報告書の原文が引用されていないことが、かえすがえすも残念である。ちなみに中野女史は、カナダ政府が現在までノーマン関係公文書の公開文書に部分的削除を施し、あるいは文書のあるものについて非公開としていることについて、文中まったく触れるところがない。
7月10日欄の加藤周一編 『ハーバート・ノーマン 人と業績』もそうだったが、「ライアン報告書」がスパイでないと言っているからノーマンはスパイではないという論法は、おかしい。
(新潮社 2001年11月)