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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

小島毅 『靖国史観 幕末維新という深淵』

2014年12月08日 | 日本史
 気は、西洋の原子論――現代科学が前提にしている素粒子物理学の、その源流となっている発想――的な意味での粒子状の原子(アトム)ではない。〔略〕気は説明するための概念・用語であって、説明されるものではなかった〔略〕。いわば自明な存在であった。〔略〕理とは世界の道理であり、宇宙の法則である。そこから逸脱することをなにものも許されない絶対的な真理である。それは時と所に限定されない。昔も今も理は不変だし、西でも東でも理は普遍である。その意味では、〔気と同じく〕また一神教の神に当たるかもしれない。 (「第二章 英霊」「東湖の詩を支える儒教的世界観」130-131頁)

 筆者は靖国における英霊の存在を、理気、なかんづく気と結びつける(同章「理気論による『英霊』観」「水戸学の死生観が生んだ靖国神社」および「靖国問題の源流にある儒教」131-137頁)。私も同意する。ただしその結びつけかたは、私とはやや異なる。正確に言えば、東湖の気に対する考え方は私が理解する儒教(朱子学)の気とは、というべきかもしれない。

(筑摩書房 2007年4月)