goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

牙含章 『達頼喇嘛伝』

2011年10月23日 | 東洋史
 中国語原題『达赖喇嘛传』。「西藏视点丛书」の一つ。人民出版社、北京、1984年の再版。
 曹長青氏が「独立はチベット人の権利である」で指摘するように(注)、たしかに「序言」で、歴史の真実を極めるためではなく、党と国家の政治的な必要に合わせてこの著作を書いたとはっきり記してある。

 闘争のうえで必要から、組織の要請により、私は、反対派のまき散らす嘘八百に反駁し、かつ広範なチベット人民に対して反帝国主義・愛国主義教育を実施するために、チベットの歴史に関するこの著を執筆した。 (1頁、拙訳)

 。曹長青編著/ペマ・ギャルポ監訳/金谷譲翻訳 『中国民主活動家チベットを語る』(日中出版 1999年10月)、209頁。

(华文出版社 北京 1999年9月)

丸山眞男 『丸山眞男講義録』 第7冊 「日本政治思想史 1967」 から

2011年10月23日 | 抜き書き
 「第三章 国学における「学問」意識の独立」(本書302-305頁)より。

 “対象への純粋な好奇心”(徂徠学への評価、302頁)に基づく、“真理への忠実さ”そして“真理への忠実さを尊ぶ態度の実践”(本居宣長『古事記伝』にたいする評価、304頁)。

 そういう問題意識は、「教え」Lehre (doctrine) だけが唯一の学問の存在形態であるところでは、そもそも発生する余地はない。こういう学問的認識と、イデオロギーとの関係〔原文傍点〕を方法論の問題として論議にのぼせたのは、日本の思想史では国学運動がはじめてである。没理性的・没批判的な「事実」信仰、あるいは日本古代神話についての無批判的な文献信仰が、思想的には日本の狭隘な particularism を表現し、学問的にもそのいわゆる実証性がけっして近代的な実験的方法に立つ経験科学と同視しえないにしても、上の点での画期的な意義は否定できない。「教え―学び」という伝統的教学の構造にたいする方法的対決の意識なしには、有名な宣長の、師の説になづむなという学問的態度を説いた文章は発せられなかったであろう。〔以下、『玉勝間』巻二よりの引用続く〕 (同、303-304頁)

(東京大学出版会 1998年12月)

「日本独特の“海女(あま)”文化」

2011年10月23日 | 地域研究
▲「人民網」2011年10月21日13:48,图/文 新华社记者冯武勇「独特的日本“海女”文化」(部分)
 〈http://japan.people.com.cn/35468/7623109.html

  海女来源于古代日本沿海地区一种独特的渔猎文化,其渊源可以追溯到距今5000年前的日本绳文时代。〔・・・・・・〕日本西部的三重县是海女的“大本营”,至今仍有近一千名海女分布在志摩半岛等沿海地带。为了保护和弘扬海女文化,三重县一方面开发与海女相关的观光项目,另一方面积极与同样具有海女历史的韩国展开合作,争取共同申报“海女文化”为世界无形文化遗产。
 
承前
 というわけで、済州島のアワビを捕ってくるのは済州島の海女である。末尾で記者も書くように、韓国にも海女がいる。私もこの目で見た。だから、海女は日本独特の文化ではない。いったい何を言っている。

「韓国・莞島産の活きアワビ10トン 日本に輸出」

2011年10月23日 | 地域研究
▲「聯合ニュース」2011/10/21 15:26 KST。
 〈http://japanese.yonhapnews.co.kr/Locality/2011/10/21/3000000000AJP20111021002000882.HTML〉

【莞島聯合ニュース】全羅南道莞島郡の莞島アワビ株式会社は21日、同郡西花島産の活きアワビ10トンを日本に輸出したと明らかにした。今後さらに30トンを輸出する計画だ。
 莞島産の活きアワビは、韓国の総輸出量820トンのうち約600トンを占める。


 済州島のアワビも美味しかったよ。というか、あそこも海産物が特産だ。伝統料理の材料としても大きな比重を占めている。

「18人が放置の女児死亡 善意とモラルを守ることが危険な国」

2011年10月23日 | 地域研究
▲「大紀元日本」11/10/22 07:12、張凛音。〈部分)
 〈http://www.epochtimes.jp/jp/2011/10/html/d81765.html〉 

 悦悦ちゃんの事件後、中国の首都経済大学などの3大学は17日、社会信用問題に関する意識調査の結果を発表した。「街頭で倒れた老人を誰も助けない」理由について、「後が怖いと考えるから」と答えたのは全体の87.4%に上った。一方、「倒れた老人を助けるべきか」について、64.8%が「助けるべき」、26.9%が「状況による」と回答した。
 中国人の心には「助けるべき」という道徳観が存在しないわけではない。それでも「助けてはならない」という心理を促したのは、「『善行』をすれば賠償や裁判沙汰になりかねない」ということへの危惧からなのだ。


 まさに正論だと思う。つまり、国民の道徳感情の低下や荒廃に責めを帰するのは、ためにする議論だということだ。本当の問題から目を逸らせようとしての、体制とその走狗たちによる誘導。ただあまりにも見え透いているが。まあ、中国の言論というのは基本的に命令か一方的な断定、それでなければおのれのみ高しで相手の非難ばかりで、他者の立場や論理を理解したうえでそれに合わせたやり方で説得する――いわば人を見て法を説く――伝統がないから、この意味で稚拙なのは当然ではある。