曹長青編著/ペマ・ギャルポ監訳/金谷譲翻訳 『中国民主活動家チベットを語る』(日中出版 1999年10月)、64-81頁所収。
共産中国の成立後、共産党はチベット族幹部を多数養成してしており、その数は全部で三万八千人に達している。これらのチベット族幹部たちは、自治区レベルや県レベルあるいはそれ以下のレベルで指導的な地位と職責を担っており、チベット人社会における新たな貴族層を形成している。彼らの大部分はチベット独立に反対である。チベット人の技術幹部は現在の時点で一万八〇〇〇人あまり存在するが、彼らもまた独立には反対である。 (同書74頁)
最近、ウイグル人の“民考漢”に関する資料を読んだ(たとえばこちらやこちら)。それで思いだした次第。チベット人の“民考漢”については、著者がもう十年以上前に指摘していたなあと。彼らが本当に独立に反対かどうかは別として、一つ確実に言えることは、いまではその数はもっと増えているだろうということだ。
だがひるがえって考えてみると、どの植民地(形式的、実質的をとわず)においてもこのような現地人官吏もしくは民族的には現地人であるが教育・文化的には宗主国のそれという、いわばハイブリッド的存在が生じてくるのは必然である。ベトナムでもそうで、ファン・チュー・チン(潘周)などは、積極的にそういったハイブリッドを育成することによってベトナムの植民地状態からの脱却と民族の独立・近代化とを果たそうとした。
ベトナムを例に取るまでもない。私が1993年のひと夏を北京大学の短期語学留学生として過ごした時、出合った香港人の大学生たちは、まさにそのハイブリッドだった。その中の一人(イギリス人とのハーフ)は私に言った。「自分は香港で、英語で教育を受け、英国の歴史を教えられた。中国のことについてはよく知らない。古典を教えられていないし、読んだこともない。そもそも古代漢語を知らない。日常その中で育ったから広東語はしゃべれるが、普通話(北京語)はほとんどできない。だからこの夏休みを利用してここの夏期講習で学びに来た」と。
べつに結論はない。強いて言えば、中国人はべつにかれらを特別視してはいないということぐらいか。
共産中国の成立後、共産党はチベット族幹部を多数養成してしており、その数は全部で三万八千人に達している。これらのチベット族幹部たちは、自治区レベルや県レベルあるいはそれ以下のレベルで指導的な地位と職責を担っており、チベット人社会における新たな貴族層を形成している。彼らの大部分はチベット独立に反対である。チベット人の技術幹部は現在の時点で一万八〇〇〇人あまり存在するが、彼らもまた独立には反対である。 (同書74頁)
最近、ウイグル人の“民考漢”に関する資料を読んだ(たとえばこちらやこちら)。それで思いだした次第。チベット人の“民考漢”については、著者がもう十年以上前に指摘していたなあと。彼らが本当に独立に反対かどうかは別として、一つ確実に言えることは、いまではその数はもっと増えているだろうということだ。
だがひるがえって考えてみると、どの植民地(形式的、実質的をとわず)においてもこのような現地人官吏もしくは民族的には現地人であるが教育・文化的には宗主国のそれという、いわばハイブリッド的存在が生じてくるのは必然である。ベトナムでもそうで、ファン・チュー・チン(潘周)などは、積極的にそういったハイブリッドを育成することによってベトナムの植民地状態からの脱却と民族の独立・近代化とを果たそうとした。
ベトナムを例に取るまでもない。私が1993年のひと夏を北京大学の短期語学留学生として過ごした時、出合った香港人の大学生たちは、まさにそのハイブリッドだった。その中の一人(イギリス人とのハーフ)は私に言った。「自分は香港で、英語で教育を受け、英国の歴史を教えられた。中国のことについてはよく知らない。古典を教えられていないし、読んだこともない。そもそも古代漢語を知らない。日常その中で育ったから広東語はしゃべれるが、普通話(北京語)はほとんどできない。だからこの夏休みを利用してここの夏期講習で学びに来た」と。
べつに結論はない。強いて言えば、中国人はべつにかれらを特別視してはいないということぐらいか。