▲「The Taipei Times」Sun, Oct 02, 2011, by Shih Hsiu-chuan.
〈http://www.taipeitimes.com/News/front/archives/2011/10/02/2003514708〉
お手並み拝見といこう。この間の「朝鮮日報」のインタビュー(2011年9月19日「筋肉だけで頭脳なき中国 民主活動家・王丹氏が本紙と単独インタビュー」)で、1989年天安門事件の際に広場では死人は出なかったとはっきり言っていたことは評価するし、以前にこの人の伝記を読んで、人間や知性において、とくに民主主義の理解については、例えば柴玲女史などとは段違いだと思っているが、それでも2005年の反日騒動の際にはショービニズムを政争の具に使った。この点、余傑氏などとおなじく、「目的は手段を浄化する」行き方をよしとしたわけである。中国の民主派は、個人の人権や自由を軽視するところは敵である中国共産党政府と同じであるから不思議ではない。「愛国無罪」と全体主義は同じである。まあ、デモクラシーでも独裁はありうるから。だからお手並み拝見と言った。
〈http://www.taipeitimes.com/News/front/archives/2011/10/02/2003514708〉
お手並み拝見といこう。この間の「朝鮮日報」のインタビュー(2011年9月19日「筋肉だけで頭脳なき中国 民主活動家・王丹氏が本紙と単独インタビュー」)で、1989年天安門事件の際に広場では死人は出なかったとはっきり言っていたことは評価するし、以前にこの人の伝記を読んで、人間や知性において、とくに民主主義の理解については、例えば柴玲女史などとは段違いだと思っているが、それでも2005年の反日騒動の際にはショービニズムを政争の具に使った。この点、余傑氏などとおなじく、「目的は手段を浄化する」行き方をよしとしたわけである。中国の民主派は、個人の人権や自由を軽視するところは敵である中国共産党政府と同じであるから不思議ではない。「愛国無罪」と全体主義は同じである。まあ、デモクラシーでも独裁はありうるから。だからお手並み拝見と言った。