再読。米本和広「カルトの子 心を盗まれた家族」(文藝春秋)。
オウム、統一協会、エホバの証人、ヤマギシ会、ライフスペースといったカルト宗教の、とくに子供たちに焦点を当てて書かれています。
宗教を自分の意志で選択するのは、その人が決めたことなのだからしかたがないのかなと思うのですが、生まれた子供にとってもそこが充実した場所なのかどうかはわからない。とくに誰かを頼らなければ生きていけない子供にとっては、生き地獄になってしまうかもしれません。自分ではどうしようもない。嫌だと思っても助けてくれる人もいない、そんな環境のなかで次第に人間らしさを失っていく子供たちが、不憫でなりません。
親とともに入信した子供たちは、引き離されて自分たちの集団生活を余儀なくされます。世話係はいうことをきかないといって乱暴し、やっとの思いで脱走してもまた送り返される。罰として繰り返される暴力。世間を知らないままに生きてきて、もう取り返しがきかない頃に突き付けられる社会的な現実。
幸せになるために、ユートピアを求めて、理想を追求し。それぞれが何かしら思うことがあったのでしょうけれど、カルトに入った人々は幸せそうには見えません。
舞い上がってしまった妻は、心理的に抵抗のある夫を強引に説き伏せます。自分とともに入信しなければ離婚するという人はかなり多いようです。かくして子供を巻き込み、一家でカルトにはまってしまう。
しかし、多額の献金と矛盾に満ちた戒律にも気がつかないまま、しわ寄せは否応なしに子供たちに向かうのです。
数年前に読んだときには、ただ子供を取り巻く劣悪な環境に唖然とするばかりでしたが、今回は「結婚と宗教」がポイントになるような気がしました。
統一協会が合同結婚式を行っていることは有名ですが、ヤマギシでもカップリングは役員がしているようですし(研鑽結婚)、そのために若い女性と壮年の男性という組み合わせが多いそうですよ。(離婚、再婚が多く、男性は若い女性を好むため)
夫婦を離婚させて新しい組み合わせを提案する教祖もいるらしい。
そこまでして、一体どんな天国に行くつもりなんでしょう。そして、そこで誰と過ごすのか。
心が離れてしまった家族たちには、様々な障害が顕在化します。不登校、リストカット、パニック。子供たちは、そのなかで生きていかなければならないのです。
自分はその思想に浸りきっている親が、子供を組織の施設に入れる。たまにしか顔を見ることもできない。そのうえ、これ以上あの組織で過ごすのは嫌だという子供に、素晴らしさがわからないのだと嘆息する。
読んでいると、子供たちがどんどん感情を削ぎ取られているのがわかるのです。親を信じられないのは、本当に辛いこと。
「親ももうちょっと、自分が体験してもいないのに、やったらいいとか言うのはやめて欲しい」「親が係を信頼しすぎて、本当のことを知らなさすぎると思うときがある」
学校を新設したいという要望に際して、実態調査のために作られたアンケート。怒りに満ちた言葉が満載でした。「絶対学校はできて欲しくない」「入りたくないのに親の意思などで勝手に入れるのはいけないと思う」
「チャイルド・アビューズ」という言葉について書いてありました。「虐待」という言葉に訳すことが多いですが、「子どもに対する度を超えた支配権の行使」という意味だそうです。
確かにいずれのケースも、子供の権利を奪う。価値観の相違を知らないまま、子供たちは生きていくのです。矛盾を抱えて。
親たちは気づかないのでしょうか。信じ続けることで蝕まれていく子供たちを。
オウム、統一協会、エホバの証人、ヤマギシ会、ライフスペースといったカルト宗教の、とくに子供たちに焦点を当てて書かれています。
宗教を自分の意志で選択するのは、その人が決めたことなのだからしかたがないのかなと思うのですが、生まれた子供にとってもそこが充実した場所なのかどうかはわからない。とくに誰かを頼らなければ生きていけない子供にとっては、生き地獄になってしまうかもしれません。自分ではどうしようもない。嫌だと思っても助けてくれる人もいない、そんな環境のなかで次第に人間らしさを失っていく子供たちが、不憫でなりません。
親とともに入信した子供たちは、引き離されて自分たちの集団生活を余儀なくされます。世話係はいうことをきかないといって乱暴し、やっとの思いで脱走してもまた送り返される。罰として繰り返される暴力。世間を知らないままに生きてきて、もう取り返しがきかない頃に突き付けられる社会的な現実。
幸せになるために、ユートピアを求めて、理想を追求し。それぞれが何かしら思うことがあったのでしょうけれど、カルトに入った人々は幸せそうには見えません。
舞い上がってしまった妻は、心理的に抵抗のある夫を強引に説き伏せます。自分とともに入信しなければ離婚するという人はかなり多いようです。かくして子供を巻き込み、一家でカルトにはまってしまう。
しかし、多額の献金と矛盾に満ちた戒律にも気がつかないまま、しわ寄せは否応なしに子供たちに向かうのです。
数年前に読んだときには、ただ子供を取り巻く劣悪な環境に唖然とするばかりでしたが、今回は「結婚と宗教」がポイントになるような気がしました。
統一協会が合同結婚式を行っていることは有名ですが、ヤマギシでもカップリングは役員がしているようですし(研鑽結婚)、そのために若い女性と壮年の男性という組み合わせが多いそうですよ。(離婚、再婚が多く、男性は若い女性を好むため)
夫婦を離婚させて新しい組み合わせを提案する教祖もいるらしい。
そこまでして、一体どんな天国に行くつもりなんでしょう。そして、そこで誰と過ごすのか。
心が離れてしまった家族たちには、様々な障害が顕在化します。不登校、リストカット、パニック。子供たちは、そのなかで生きていかなければならないのです。
自分はその思想に浸りきっている親が、子供を組織の施設に入れる。たまにしか顔を見ることもできない。そのうえ、これ以上あの組織で過ごすのは嫌だという子供に、素晴らしさがわからないのだと嘆息する。
読んでいると、子供たちがどんどん感情を削ぎ取られているのがわかるのです。親を信じられないのは、本当に辛いこと。
「親ももうちょっと、自分が体験してもいないのに、やったらいいとか言うのはやめて欲しい」「親が係を信頼しすぎて、本当のことを知らなさすぎると思うときがある」
学校を新設したいという要望に際して、実態調査のために作られたアンケート。怒りに満ちた言葉が満載でした。「絶対学校はできて欲しくない」「入りたくないのに親の意思などで勝手に入れるのはいけないと思う」
「チャイルド・アビューズ」という言葉について書いてありました。「虐待」という言葉に訳すことが多いですが、「子どもに対する度を超えた支配権の行使」という意味だそうです。
確かにいずれのケースも、子供の権利を奪う。価値観の相違を知らないまま、子供たちは生きていくのです。矛盾を抱えて。
親たちは気づかないのでしょうか。信じ続けることで蝕まれていく子供たちを。
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