保健隊(防疫組織)に見る自立・連帯
『ペスト』の中で青年医師リウーと旅行者タルーの会話が意味深い。
パヌルー神父の話を聞いた後に、タルーは有志による防疫のための民間組織「保健隊」を作ることを考える。
タルーが神父の説教についてどう考えるかを医師リウーに尋ねると
「私は病院の中でばかり暮らしていたので集団的懲罰などという観念は好きになれません。普通の病気も神の罰かもしれず、病人は罪人ということになりかねません。・・ペストに対して諦めるなどということはできないはずです!」
つづけてタルーが「あなたは神を信じていますか」と問うと
「信じていません。私は暗い夜の中にいます。その中でなんとかして明るく見きわめようと努めているのです。この世の秩序が死の掟に支配されている以上は神にとって人々は自分を信じてくれない方がいいのかもしれないのです。あらん限りの力で、死と闘った方がいいんです。神が黙している天上の世界なんかに眼を向けたりしないで」
タルー「なるほど・・あなたの勝利は常に一時的なものですね」
リウー「だからといって闘いをやめる理由にはなりません」
タルー「そうなると僕は考えてみたくなるんですが・・このペストはあなたにとってどういうものなのか・・」
リウー「果てしなき敗北です」
この先は白紙といたします。
ただ、「集団的懲罰」という神父の言葉がありましたが、「カトリック的な土壌のない日本でも、同様な言い方として「天罰」があります。近年でも東日本大震災が起こったときに当時東京都知事だった石原慎太郎氏が黙示録的な意味で「天罰」だと語り、議論を呼んだのは記憶に新しいところです。」(中条省平著「100分de名著」アルベール・カミュ ペスト)
神という大きな存在に委ねてしまうと、人間のもつ力が示せなくなる。防疫組織を作るということは、個々が強くならねばならない人間中心の考えヒューマニズムに立ち闘おうとするものです。そこにはカミュの「不条理の哲学」がリウーとタルーとの交わす言葉に感じ取れます。
(つづく)
『ペスト』の中で青年医師リウーと旅行者タルーの会話が意味深い。
パヌルー神父の話を聞いた後に、タルーは有志による防疫のための民間組織「保健隊」を作ることを考える。
タルーが神父の説教についてどう考えるかを医師リウーに尋ねると
「私は病院の中でばかり暮らしていたので集団的懲罰などという観念は好きになれません。普通の病気も神の罰かもしれず、病人は罪人ということになりかねません。・・ペストに対して諦めるなどということはできないはずです!」
つづけてタルーが「あなたは神を信じていますか」と問うと
「信じていません。私は暗い夜の中にいます。その中でなんとかして明るく見きわめようと努めているのです。この世の秩序が死の掟に支配されている以上は神にとって人々は自分を信じてくれない方がいいのかもしれないのです。あらん限りの力で、死と闘った方がいいんです。神が黙している天上の世界なんかに眼を向けたりしないで」
タルー「なるほど・・あなたの勝利は常に一時的なものですね」
リウー「だからといって闘いをやめる理由にはなりません」
タルー「そうなると僕は考えてみたくなるんですが・・このペストはあなたにとってどういうものなのか・・」
リウー「果てしなき敗北です」
この先は白紙といたします。
ただ、「集団的懲罰」という神父の言葉がありましたが、「カトリック的な土壌のない日本でも、同様な言い方として「天罰」があります。近年でも東日本大震災が起こったときに当時東京都知事だった石原慎太郎氏が黙示録的な意味で「天罰」だと語り、議論を呼んだのは記憶に新しいところです。」(中条省平著「100分de名著」アルベール・カミュ ペスト)
神という大きな存在に委ねてしまうと、人間のもつ力が示せなくなる。防疫組織を作るということは、個々が強くならねばならない人間中心の考えヒューマニズムに立ち闘おうとするものです。そこにはカミュの「不条理の哲学」がリウーとタルーとの交わす言葉に感じ取れます。
(つづく)
ジュリエット・グレコさん亡くなりました。カミュ、サルトルとも親交のあった歌手とききます。合掌。
【ジュリエット・グレコ】パリの空の下
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