ポポロ通信舎

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基地問題 フィリピンの例

2010年05月16日 | 政治
フィリピンから米軍基地が撤去されてから18年が経ちます。
日本と同じように、アメリカ軍の大きな基地があったフィリピンが、どうして基地問題を解決できたのか、いろいろ調べてみました。

フィリピンの国名は、スペインのフィリップ国王の名に由来するほど、スペインとは密接な関係にありました。同国の歴史は16世紀から長い長い諸外国からの植民地圧政・被支配の歴史でした。

【スペイン支配】1565年~
【アメリカ支配】1898年~
【日 本 支配】1941年~
【アメリカ傘下】1945年~ 1992年(基地撤廃)

スペインからの独立をめざす将軍アキナルドを、当初支援するかのように見えたアメリカは米西戦争(1898年)でスペインに勝利した後は、事実上新たな宗主国として君臨する。しかし1941年に、アジア解放を旗印とする日本軍に追われ覇権を手放す。敗北を喫した司令官マッカーサーは「I Shall Return」の名言を残してフィリピンを去る。そして再び、その言葉通り日本から同国を奪還し米軍基地を再配置。その後、1991年、ラモス新政権誕生の年、比米友好協力安全保障条約(基地使用を認める条約)が比国上院議会で否決。1991~92年にかけてクラーク空軍、スービック海軍両基地が撤去された。

米軍基地撤去前には、基地なき後の経済的打撃や、報復が懸念されたが、その不安はすべて杞憂に過ぎませんでした。

基地の跡には、農工業が復活し、経済は再興しGNP、輸出額も向上。アメリカとの親密な友好関係は維持しながらも「非同盟諸国首脳会議」に加わりASEANの非核地帯条約に調印するなど平和外交の一翼になってきた。


さて、わたしたちの日本。。

今、争点となっているのは日本国内全部の米軍基地の事でなく沖縄の、それも誰が見ても最悪の条件下の普天間基地、たった一つ移設(「撤去」とまでも言っていない)問題で、まるで国が揺れる様な大騒ぎ状態。

過去のフィリピンの事例から、何か今の基地問題を解く鍵はないでしょうか。しっかり学び得るものが、きっとあるように思います。

〖写真〗撤去前の比国スービック海軍基地

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1 コメント

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Unknown (jonn)
2010-09-19 10:11:40
思いやり予算廃止。
米兵軍の乱暴が平等に裁判されないし、
毎日、危険にさらされて 怖い。
沖縄は住みやすいんだと思う。


思いやり予算廃止。

仕分けしろ。
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