ポポロ通信舎

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降りかかる不条理に抗す(12)

2020年10月21日 | 研究・書籍
子供の死をどう解釈?



『ペスト』では判事のオトンの息子がペストにかかり死を迎える場面があります。少年の悲痛な病気との闘いの様子。

パヌルー神父に対して医師リウーは「子供たちが苦しめられるように創造されたこの世界を愛するなんて、私は死んでも拒否します」と。キリスト教の来世での救済を求めず、悲観的ではあっても、現世であくまで闘い続けることを選ぶカミュの考え方がここに表れています。

「しかし私たちは自分の理解できないことを愛さなければならない」とパヌルー神父。さらに神父は「人間の尺度を超えた神の意志による救済はどこかに用意されているかもしれない」それは「神への愛とは困難な愛です。自分自身を全面的に放棄し自分の人格を無視できることを前提にしてます。しかし、ただこの愛だけが、子供たちの苦しみと死を消し去ることができるのです」と説く。

しかし、無信仰者のカミュは子供たちが苦しめられるように創造されたこの世界には納得することができない。純真な子供たちが死んでいくことの不条理さを嘆く。現世で苦しんでいる子供たちをなんとか救わなければならない。この場面の対話からは、ふと安富歩(東大教授・れいわ新選組)氏の「子供を守れ!子供を守ることが社会の目的」の主張を連想しました。

「魯迅の『狂人日記』にも「子供を救え」という言葉が出てきます。これは「人が人を食う」かのごとき恐ろしい社会のなかで、まだそれに毒されていない子供たちに希望を託そうという痛切なメッセージですが、カミュにもまた、無垢な子供たちを救いたいという、切実な思いがありました」(中条省平
『果てしなき不条理との闘い』NHK出版)

安富歩氏は「未来の社会システムは子供たちに考えてもらうしかない。むやみに子供を叱ることはできない」それだけに「世界を救えない奴(大人)が、未来を救うかもしれない人(子)を叱ったりするな」と笑う
(『あなたを幸せにしたいんだ』山本太郎とれいわ新選組集英社)。同氏は、子供を守ることが政治判断の基礎、それは社会の生きづらさからの解放であり救い出す唯一の道とまで述べています。

ペスト(感染症)は老若男女、誰でも襲う。そしてその肉体を無惨に蝕む。とくに子供たちが絶命していく残酷な闘いを前に、「不条理哲学」とキリスト教(宗教者)の解釈の違いが浮き彫りになって行く。


もう一度アンドレ・グラヴォーの『パパと踊ろう』を聴きたくなりました♪


 
 


Andre Claveau - VIENS VALSER AVEC PAPA
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