読書ならではの醍醐味です。
『酷寒シベリヤ抑留記』(竹田正直著 1991年)
著者(主人公)の世界にすっかり自分が吸い込まれ「陸軍二等兵」として擬似体験をさせていただいた。
それにしてもすごい人生、ひどい“酷寒”な青春です。大きな「国家」間の戦争行為によって小さな小さな「個人」が理不尽に翻弄される・・。
著者は、当時の「ソ連兵」「ロシア人」に対して、民族的な偏見はなく冷静に、客観的にとらえているところが好感がもてた。
昭和20年(1945)8月9日ソ連軍は国境を突破し侵入。わが関東軍は、戦車は南方戦線に移送され飛行機もなく裸同然の守り。ソ連の近代的な28トンもある重戦車(T34型)を見て「とてもかないっこない」と思ったが、果敢な兵士の一人が教本通り模範的に、敵戦車に駆け上って肉弾自爆を試みた。勇士の体は粉々に飛び散ったものの戦車は、しばし停車しただけでびくともせずまだ動き出した・・。
敗戦により武装解除を命じた連隊長は、その日のうちに拳銃で自決。ソ連軍は日本人狩りを開始し婦女子5千人を含めおよそ70万人がソ連領土各地に抑留される。勝者が敗者を奴隷としてこき使う。「スコーラ・トーキョー・ダモイ」(もうすぐ東京に帰れるぞ)とソ連兵はいうものの家畜を運ぶように貨物列車に乗せられた日本兵たちは、ソ連の奥地、奥地へと運ばれた。スターリン独裁政権は“生きた戦利品”として日本人を拉致したのだった。
ソ連の兵隊たちは貧しく時計や万年筆を持つ豊かなヤポンスキー(日本人)から略奪行為をくりひろげる。しかし野蛮そうにみえるソ連の軍隊にはピンタや体罰、鉄拳制裁などはなかった。
著者は民主化リーダー候補に選ばれ民主学校で教育を受けた。たった1カ月であったが半年以上学んだように感じられたという。「民主化」には魅力を感じたものの「これこそ絶対である」の教条的な体制賛美の言葉には直観的に眉つばな感じがし、どこかで白けていた。
ラーゲリ(収容所)では、演芸大会も開かれ戦後歌謡界の大御所となった三波春夫も出演した・・。(動画参照)
復員船に乗って待望のダモイ(帰国)を果たせたのは昭和23年(1948)9月28日。連行からちょうど丸3年、著者20歳~23歳の抑留生活・・。
不条理な人間の愚挙
今、日本の戦時中の加害者責任ばかりが一方的に問われているが、シベリア抑留はれっきとした「被害者」の史実。著者はさいごに言う「なぜ、人間は間違いを繰り返し、戦争と言う愚挙に出るのか。私が抑留生活を通してつくづく感じたのは不条理ということだった。これはイデオロギーうんぬんよりも人間の存在にかかわる根源的な問題だ」
酷寒シベリヤ抑留記―黒パン350グラムの青春 | |
竹田正直 著 | |
光人社 |
【三波春夫もシベリヤ抑留体験者】
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