『つながりすぎた世界』(Over connected)
著者:ウィリアム・H・ダビドウ(元インテル社員でもあったIT業界のベンチャーキャピタリスト。米国人)
訳者酒井泰介が、押し寄せる情報洪水から人は、一人になりたいと思う反面、一心不乱にメールを打つ人の姿も後を絶たない。ものごとは因果性、連鎖性があり、つながりを強化すると自己増殖的に反応が進む。強め過ぎると暴発的に連鎖反応が起こり手がつけられなくなる。本書が規制技術の研究を促す触媒になれば著者も本望であろうと、解説している。
たしかに著者は「制御棒を失ったネット空間」として高度結合状態から過剰結合にいたるさまを原子力発電のしくみに似ていると形容している。2008年の金融危機ではネットがプライバシーやスパムに対して制御棒が見当たらない状態であったと。過剰結合の最初はEメールだった。そして店舗、行政、金融、音楽、映画、ゲーム・・とそのつながりは強まる一方。
私が典型的に「つながり過ぎている」と感じるのはフェイスブックだ。皆よくぞそこまで本名で個人情報を包み隠さず公開しているな、とハラハラしながらも感心してしまう。その中には、かくいう自分もしっかり含まれているわけですけれど(笑)。
つながり合う社会に潜む危険性には敏感であれ!と著者は発する。投資、金融、税制の面では、もはやシステムが「大き過ぎるとつぶせない」(too big to fail)。一つの策としてSEC(米国証券取引委員会)とCFTC(商品先物取引委員会)の統合を提起してシステムの構造変化を著者は求めている。
本書では、カントの「人間性についての悲観論」からアダム・スミスの「神の見えざる手」はもはや握力が失いつつある・・。さらにはTCP/IP(通信標準)の歴史やインターネットに関するものへと他方面に話題が及んでいて飽きることはなかった。
インターネットの登場で、私たちのこれからの環境がどうなっていくか・・。つまるところ、その結論は私たち自身にかかっているということなのだろう。
きょうの一曲はスージー・クワトロの【Too Big】。ネットつながりも大き過ぎ・・。
Suzi Quatro - Too Big (Re-Sync)
つながりすぎた世界 | |
ウィリアムHダビドウ | |
ダイヤモンド社 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます