ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

わかりづらい?社会民主主義

2020年12月06日 | 社会民主主義ノート
「中道はわかるようでわかりづらい道だ」


群馬・東毛の誇る農民運動家、須永好の今風に言うならツイッター(つぶやき)です。
政治の中道をめざしていた須永翁の心情も社会民主主義であったと思います。
中道はわかるようでわかりづらい道だ、令和の時代になっても変わらないつぶやきだと思いますね。
社会民主主義は、この国の巷(ちまた)では、まだまだ正しく理解されていないように感じます。

ある若い世代のユーチュバーが、社会民主主義の世界組織「社会主義インター」のことを危険な極左団体のように思い込んで非難を
している認識には驚きです。「社会」や「主義」の響きに強いアレルギーがあるようです。それも無理ありません。20世紀は社会主義、共産主義の実験の失敗つづきでしたからね。

さて「社会民主主義」を広辞苑ではどう書かれているでしょうか。
「(歴史解説部分略)マルクス主義の立場をとる共産主義者の主張とは区別するため、議会を通じて漸進的に社会主義に到達しようとするさまざまな改良主義的社会主義の主張の総称」

ここで「さまざまな改良主義的・・」とあります。「さまざま」がまた混同の一因でしょうか。社会民主主義は多元的な価値を認め合う思想だけに、それそのものの定義からして多様となっていますね。
ちなみに「民主社会主義」と「社会民主主義」は同じことと私は解釈しています。これにも別解を持つ人もいるようですが。

社会民主主義の定義としては(1)民主主義(2)混合経済(資本主義経済の肯定)(3)社会改革の徹底、を三位一体とする見方があります。(『国境を超えた社会民主主義』新田俊三編著 日本評論社)

須永好先生、たしかにわかりづらいです。中道、社会民主主義は。



【須永好、すながこう】1894-1946 群馬県旧強戸村生。旧制太田中を経済的事情で中退後、家業の農業に従事するかたわら農民運動に携わる。郷里強戸村を理想郷へと小作農民を組織しわが国初の革新自治体「無産村強戸」を実現。戦後は日本社会党結成に奔走、日本農民組合初代会長 衆議3期(戦前戦後通算)。


 
理想社会への道は険しい・・

Otis Redding-ドック オヴ ベイ
コメント
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