ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

敗戦と今、大震災

2011年03月31日 | 原発震災・原発問題

戦争を経験した私の親世代の人たちは、いったい今度の天災+人災の“東日本大事変”をどのように感じておられるか、お聞きしたいと思っていました。

当方、実父母、義父母ともすでに他界し“インタビュー”はかないません。そんなところに、老人党のなだいなだ氏のメーリングリストが、私の願いを天がかなえてくださったかのように届き拝読できました。

なるほど、なるほど・・と、戦災で焼け出された経験のある亡母の声のようにも感じましたので、全文を転載させていただきます

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ぼくは81歳。ツナミの画像を見ながら、敗戦を一面の焼け野原の中で迎えた16歳の夏の敗戦と イメージを重ね合わせる。

今回も敗戦だと思えばよいのだ。日本は負けたのだ。どこに対して?自然に対してだ。今度の地震はマグニチュード9だ。このエネルギーは、3万3千発の広島原爆に匹敵する。広島の原爆はマグニチュード6の地震エネルギーだったといわれる。マグニチュードは1上がるたびに32倍になるという。
この3万発の原爆を一時に宮城沖に落とされて、自然に対して降伏した。こうしてぼくたちはもう一度敗戦を迎えたのだ。ぼくたちは、少し奢っていたのではないか。GNPが世界第2になった(最近3位に落ちた)などと浮かれて、傲慢になりすぎていたのではないか。敗戦と思えば、立ち直った経験が活かせる。
もう一度、ゼロからやりなおそう。
チェルノブイリで25年前に起こした原発事故は、広島型原爆500個分を落とされたのと同じだったと計算されている。この事故がソ連の崩壊につながった。この事故のとき、ぼくは日本の原発は大丈夫かね、とある日本人エンジニアに尋ねた。すると「あれはソ連だから起ったのです。安全設計を十分に考えた日本の原子炉では絶対に起こりえません」。という答が返って来た。ソ連で起きたことは、日本でも起こりうる。事故が起ったときどのような対策をとったか、その対策のどれが無駄で、どれが有効であったかを、謙虚に学んで、事故に備えていたら、もう少し事故後の対処仕方に役立っていただろうと思う。かつての軍が「日本軍は絶対負けぬ」といったのと、「チェルノブイリは日本で絶対に起こらぬ」、といったのと、精神の中で平行しているような感じがする。
戦後、ものが足りなくなった。ひもじい思いをした。スーパーに行き、からになった生鮮食料品の棚を眺めため息をつき、パンを買いに長い行列をしたり、混雑電車に押し込まれたりしながら、これも、あれも、みんな65年前にあったというデジャヴュ体験をしている。
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【写真】大空襲後、焼け野原の東京。道路は残っている・・(1945年 米国防総省提供:毎日新聞)
コメント (6)
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