卯原内駅跡を出発、まっしぐらに「根室標津駅跡」にやってきました。
根室標津駅跡は標津線の終端駅、近くには尾岱沼、トドワラなどで有名な野付半島が近く、町には「標津サーモンパーク」などの観光施設があります。
以前はこの「標津サーモンパーク」を目当てに観光で訪れたことがあります。
宗谷本線にも「士別駅」という同じ読みの駅がありますが、先達のこちらの駅と区別する為に「根室標津駅」と命名されたそうです。
雲はますます厚く雨が降り始めるのは時間の問題のようです。
駅跡と思しき場所にやってきました。
アスファルトで舗装された広大な敷地にはそれを想像させるようなものは何一つ無く、ただ広い空間が広がるだけでした。
その広大な敷地の一角には「阿寒バスセンター」があります。
バス停の名称は…「標津営業所」となっています。
しかし…これだけでは満足できず、近くのGSで給油を兼ねて「根室標津駅」のことを訊ねてみました。
年配のスタッフの方が当時のことを覚えていて、駅の場所や当時の雰囲気、そして現在も保存されている「転車台」のことも教えてくれました。
廃線について訊ねるのは年配の方に限りますね…当たり前ですけれど。
標津町役場の前の道の右側を「チラ見」しながら走っていて「あっ」と思いました。
写真赤矢印の「赤いハンドル」が見えたのでした。
「あそこかぁ~」と場所を確認してから町役場の駐車場にオデ君を置いて徒歩で転車台へ向かいます。
まだ雨は堪えてくれていて助かります。
近付くにつれて「転車台」の姿が見えてきます。
すごく綺麗な状態なのがビックリです。
最近補修作業が行われたみたいな状態です。
ドキドキ、ワクワクします。
“トラ・ロープ”が周囲に張られていますが、充分に全景を観賞することが出来ます。
ロープに沿って一回りしてみます。
転車台の横手には、駅名標のようなフレームに説明パネルが展示されています。
「標津町指定文化財(史跡)標津駅転車台」というタイトルです。
文化財パネルの隣には、同じデザインの「標津駅付近略図(昭和40年代)」というタイトルのパネルが展示されています。
転車台と根室標津駅との位置関係が図示されたパネルです。
この図を見ると、それぞれの位置関係がより一層はっきりと確認することが出来、大変役立つパネルであります。
やはり先ほどの“広大な空き地”が「根室標津駅跡」のようです。
転車台には一条のレールが続いています。
この位置から見ますと、先ほどのパネルと転車台の位置がわかります。
振り返って見ますと、そのレールは駅方向に続いている様に見えますが、広場の手前で草むらに消えていきます。
さらに転車台を観察します。
こちらサイドから見ますと結構水が溜まっているのが分かります。
転車台のもう一方は草むらが覆いかぶさりレールは隠されています。
その横には“先輪?”の一部が放置されています。
第3種車止めの手前には、こちらにも“車輪”が残され手います。
草むらで見えにくいですがこの「第三種車止め」の先のレールは転車台まで続いています。
転車台の周りの雑草はとても綺麗に刈り込まれているのですが、なぜかここの草むらだけが残されています。
どのような意味があるのか、理解は出来ませんでした。
「根室標津駅舎」は件の「北海道の鉄道廃線跡」に掲載されている写真を見ましても、実に立派な規模の大きな駅であったことが分かります。
しかし、先の写真のように「広大な空き地」に姿を変えてしまい、標津線根室標津駅の存在を伝えるのは、この転車台だけとなってしまいました。
先のパネルにあったように、この転車台は「根室標津駅」の往時の雰囲気を伝える立派な“文化財”に違いありません。
根室標津駅跡は標津線の終端駅、近くには尾岱沼、トドワラなどで有名な野付半島が近く、町には「標津サーモンパーク」などの観光施設があります。
以前はこの「標津サーモンパーク」を目当てに観光で訪れたことがあります。
宗谷本線にも「士別駅」という同じ読みの駅がありますが、先達のこちらの駅と区別する為に「根室標津駅」と命名されたそうです。
雲はますます厚く雨が降り始めるのは時間の問題のようです。
駅跡と思しき場所にやってきました。
アスファルトで舗装された広大な敷地にはそれを想像させるようなものは何一つ無く、ただ広い空間が広がるだけでした。
その広大な敷地の一角には「阿寒バスセンター」があります。
バス停の名称は…「標津営業所」となっています。
しかし…これだけでは満足できず、近くのGSで給油を兼ねて「根室標津駅」のことを訊ねてみました。
年配のスタッフの方が当時のことを覚えていて、駅の場所や当時の雰囲気、そして現在も保存されている「転車台」のことも教えてくれました。
廃線について訊ねるのは年配の方に限りますね…当たり前ですけれど。
標津町役場の前の道の右側を「チラ見」しながら走っていて「あっ」と思いました。
写真赤矢印の「赤いハンドル」が見えたのでした。
「あそこかぁ~」と場所を確認してから町役場の駐車場にオデ君を置いて徒歩で転車台へ向かいます。
まだ雨は堪えてくれていて助かります。
近付くにつれて「転車台」の姿が見えてきます。
すごく綺麗な状態なのがビックリです。
最近補修作業が行われたみたいな状態です。
ドキドキ、ワクワクします。
“トラ・ロープ”が周囲に張られていますが、充分に全景を観賞することが出来ます。
ロープに沿って一回りしてみます。
転車台の横手には、駅名標のようなフレームに説明パネルが展示されています。
「標津町指定文化財(史跡)標津駅転車台」というタイトルです。
文化財パネルの隣には、同じデザインの「標津駅付近略図(昭和40年代)」というタイトルのパネルが展示されています。
転車台と根室標津駅との位置関係が図示されたパネルです。
この図を見ると、それぞれの位置関係がより一層はっきりと確認することが出来、大変役立つパネルであります。
やはり先ほどの“広大な空き地”が「根室標津駅跡」のようです。
転車台には一条のレールが続いています。
この位置から見ますと、先ほどのパネルと転車台の位置がわかります。
振り返って見ますと、そのレールは駅方向に続いている様に見えますが、広場の手前で草むらに消えていきます。
さらに転車台を観察します。
こちらサイドから見ますと結構水が溜まっているのが分かります。
転車台のもう一方は草むらが覆いかぶさりレールは隠されています。
その横には“先輪?”の一部が放置されています。
第3種車止めの手前には、こちらにも“車輪”が残され手います。
草むらで見えにくいですがこの「第三種車止め」の先のレールは転車台まで続いています。
転車台の周りの雑草はとても綺麗に刈り込まれているのですが、なぜかここの草むらだけが残されています。
どのような意味があるのか、理解は出来ませんでした。
「根室標津駅舎」は件の「北海道の鉄道廃線跡」に掲載されている写真を見ましても、実に立派な規模の大きな駅であったことが分かります。
しかし、先の写真のように「広大な空き地」に姿を変えてしまい、標津線根室標津駅の存在を伝えるのは、この転車台だけとなってしまいました。
先のパネルにあったように、この転車台は「根室標津駅」の往時の雰囲気を伝える立派な“文化財”に違いありません。