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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■兄弟の死 / 板倉邦雄

2017年03月08日 | Weblog
2017/3/8放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「兄弟の死」という題でお話しします。同じ血を分けた兄弟であり、しかも同じ志のために苦楽を共にした兄弟であるなら、この世での別れは辛く悲しいものです。

 さて、イスラエルの人々はエドムの国を迂回してホル山の麓に到着しました。ホル山はエドムの国境近くにありました。主なる神様はモーセとアロンに言われました。
 「アロンは先祖の民に加わることになります。アロンはわたしがイスラエルの人々に与えた約束の地に入ることはできません。それはあなたがた二人がわたしのことばに背いたからです。『岩に命令して水を出させなさい』とわたしが言ったのに、モーセよあなたは怒って杖で二回も岩を打ちたたいたでしょう。」

 硬い岩を二度と叩いたぐらいで神様の約束の地に入れないとは残念です。でも水を出したこの岩は、実は目に見えない岩なるキリストだったと教えられました。怒りに任せ、とは言いましても、キリスト様を杖で二度も叩いたことになります。キリストはこのモーセの怒りの罪をも十字架で身代わりとなられたのです。

 さらに続けて主なる神様はモーセに言われました。
 「あなたはアロンとその子エリアザルを連れてホル山に上り、アロンに祭司の衣服を脱がせて、それを息子に着せなさい。」

 アロンはホル山の山頂で死にました。イスラエルの全家はアロンの死んだのを見た時、30日の間、アロンのために泣き悲しみました。

 私と私の教会も、今から33年前、一人の信徒の死によって深い悲しみと涙に暮れました。彼は脳腫瘍のために34歳で亡くなりました。奥様と二人の幼子を残して世を去ったのです。彼は私が17歳の時、私を教会に導いてくれました。その時彼は16歳でした。そして私が25歳の時、開拓伝道を始めた時から荒野の10年間、私たちと苦楽を共にしてくださった。まさに私にとって兄弟でした。兄アロンを亡くした弟モーセの気持ちが私には少し分ります。
 
  (PBA制作「世の光」2017.3.8放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■十戒 -自由への励まし 5 / 大嶋重徳

2017年03月07日 | Weblog
2017/3/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神様と人との間に結ばれた約束があります。
 今朝も十戒の第一戒を見ていきたいと思います。

 十戒第一戒は「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」(出エジプト記 20章2節)と始まります。この十戒の一つの特徴は、「あなたの神、主である」と「あなたの神」、そう個人的に名指しがされていることです。多くの聖書の箇所で、神様が「あなたがたの神」と複数形で語られていることに対して、ここでは「あなたの」と単数形で語られています。これは神様が個人的に、他の誰かれでもない、わたしはあなたのものだ、と語っておられるのです。そして、あなたもわたしのものだ、と愛の告白がされています。

 ここまで十戒は私たちを固く縛りつけるためのものではないと話してきました。結婚式の誓約のような愛の約束の瞬間なのだと。むしろ神様に愛されて自由に軽やかに生きることの始まりなのだということを見てきました。神様は今、十戒に片手を置いて私たちを前に愛の面持ちで立っておられます。十戒はこの神の愛を前にして、あなたはどうするのですか?という問いかけを私たちはされているのです。他の誰かがどうするかではなく、周囲の目を見ながら選び取るのでもない。あなたはわたしのことをどうするつもりなのか、ということを神様は尋ねておられるのです。「あなた」と名指しされていることは十戒の持つ大切な性格です。

 愛とは、何々せねばならないというものではありません。むしろ愛とは、何々したくてしょうがない、という愛されたことの感動と愛したいという情熱が私たちを突き動かして来るものです。

 クリスチャンになるとは、罪の中にいた奴隷のような生き方をしていた私を連れ出してくれた神の愛に応答することです。そして今朝も、私たちの前に立っているのはイエス・キリストの十字架の愛です。十戒とは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した救いの神が、「わたしはあなたの神、主である」と語られ、この神の愛に人格的に愛をもって応答するというところから私たちのクリスチャン・ライフは始まっていくのです。 キリスト教倫理とか崇高な高い道徳観の中にそびえ立っているのではなく、愛してくださった人を愛したいと願うところから始まるものなのです。
 
  ( PBA制作「世の光」2017.3.7放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■日ごとの糧を与えてください / 関根弘興

2017年03月06日 | Weblog
2017/3/6放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様はご自分と共に生活していた弟子たちにどのように祈ったらいいのかを教えられました。教会では主の祈りとして毎週礼拝で祈られているものです。今日はその主の祈りの後半部分を見ていきましょう。

 イエス様は、「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。」と祈りなさい、と教えられたんですね。つまりイエス様は、私たちが生きていく上で必要なものが与えられるように祈れ、と言われたんです。

 確かに私たちは霞を食べて生きて事はできません。生きるためには食べ物や着るもの、住む場所など様々なものが必要です。つまり「日ごとの糧をお与えください」という祈りは、毎日の生活に必要な具体的なもののために祈りなさい、という大変現実的な祈りなんですねえ。

 あなたは食事の前に感謝の祈りをしていますか? 日ごとの糧をお与えください、と祈りながら食事の前に感謝が無いなら、それは少し寂しいことですよねえ。私たちは、日ごとの糧をお与えくださいと祈り、また毎日こうして生かされていることに感謝を捧げるんです。

 以前にもお話したんですけれども、私は大学生の時、祈りは本当に答えられるのだろうかと思って祈りのノートを作りました。そのノートに自分の祈った祈りを一つ一つ書いていったんです。書かないと自分が何を祈ったかすぐに忘れてしまいますからね。祈った祈りを忘れてしまったら、答えられたかどうかも分からなくなってしまいますからねえ。当時私は貧乏学生でしたから、それこそ日ごとの糧のために祈り、とっても細かいことまで祈って行きました。そして答えられた祈りは赤鉛筆で横棒を引いていったのです。すると、どうなったと思いますか? そのノートは赤い横棒で一杯になったんです。

 といっても私たちの願った祈りがすべて叶えられる訳ではありません。神様は私たちに益になることしかなさいませんから、私たちのわがままな祈りや自己中心的な祈りは聞いてくださいません。でも私たちの生活に深く介入し、みわざを行なってくださるのです。私たちはどんな些細なことでも具体的に祈り求めていったらいいんですね。そうすれば現実の生活の中で神様のみわざを味わっていくことができるでしょう。

 (PBA制作「世の光」2017.3.6放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神のことばはいのちである / 羽鳥頼和

2017年03月04日 | Weblog
2017/3/4放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書の申命記32章からお話しします。

 このメッセージはイスラエルの指導者モーセの告別のメッセージです。その中でモーセはイスラエルの民にこう語ります。
 「あなたがたは、私が、きょう、あなたがたを戒めるこのすべてのことばを心に納めなさい。・・・ これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。」(46節、47節)

 モーセは神のことばを聞いて、それをイスラエルに語りました。ですから、この戒めのことばは神のことばです。モーセは、「今まで私が語ってきた戒めのことばは神のことばである。それらの神のことばはむなしいことばではなく、あなたがたのいのちである。」と言っているのです。いのちとは生きる力です。それも清く正しく生きることができる力です。ですから、神のことばは人が清く正しく生きることができる力であるということができます。

 確かに神のことばが教えているのは、人がどのように生きたら良いのか、みなが幸せに生きるためにどうしたら良いのか、ということです。

 神の戒めを守り行えれば、みんなが本当に幸せになれるのです。ところが、イスラエルは以前、神の命令を聞いて、それを「私たちには無理だ。できない。」とよく言っていました。そして実際に神の命令に従わないことが多くありました。彼らは神のことばを「むなしいことば」と決めつけて、神に従わなかったのです。ですから、モーセは、むなしいことばではない、いのちなのだと言ったのです。

 また神はそんなイスラエルに、申命記30章でこう言われました。
 「わたしのことばはあなたがたに難しすぎるものではない。わたしのことばはあなたの近くにありあなたの口にありあなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」(30章11節、14節参照) これは神があなたがたにみことば行うことができるようにしてくださるという神の約束です。
 モーセは、あなたはこれを行うことができる、という神のことばを信じて神のことばはむなしいことばではなくいのちである、と言ったのです。

 今も神のことばはいのちです。
 明日は日曜日です。神のことばを聞くために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.3.4放送でのお話より )
 
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■窮した者の祈りを顧みてくださる神 / 岩井基雄

2017年03月03日 | Weblog
2017/3/3放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 詩篇の102篇には「悩む者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの」という表題がつけられています。今日はこの詩篇の三回めとして、窮した者の祈りを顧みてくださる神様について、共に考えてみましょう。

 では詩篇の102篇14節から17節をお読みします。
 「まことに、あなたのしもべはシオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしみます。
 こうして、国々は主の御名を恐れ、地のすべての王はあなたの栄光を恐れましょう。
 なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現われ、
 窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。


 ここに登場する「シオン」ということばは神の約束の地またその中心のエルサレムを指しています。シオンということばにはもともと「荒廃」という意味があります。荒れ果てた地が神様の恵みにより神の祝福を現わす地に変えられたのです。そしてシオンは単に場所だけではなく、神の民をも意味します。
 この詩篇の作者は、「主はシオンを建て、・・・ 窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかった」と歌っています。荒地を祝福の恵みの地とし栄光を現わしてくださる主は、苦難で窮した者を顧み、その祈りに応え、祝福を注がれました。神様に背き、荒地のように荒廃した神の民をさえ神は憐れみ、ご自分のものとして祝福し、祈りに応えてくださったからです。
 それゆえ、「あなたのしもべはシオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしみます。こうして、国々は主の御名を恐れ、地のすべての王はあなたの栄光を恐れましょう。」(14
節、15節)と作者は歌います。万軍の主が私たちを憐れみ、祈りを聞き、祝福してくださるゆえに、私たちも困難があるシオンの地を愛し、苦難の中で喜んで生きることができる、というのです。

 またそれだけではなく、周りの人々も主の愛を覚え、その栄光を恐れ敬うというのですねえ。

 神様の愛は、人も国も内側から変えてくださるのです。問題を抱える私たちをも神様は愛し、憐れみ、神様の栄光を現わす存在へと内側から変えてくださいます。あなたもこの憐れみと恵み豊かな神様と共に歩み、平安と祝福の中を歩んで行きませんか? 神様の愛はあなたを造り変え、あなたを豊かにしていくのです。

 PBA制作「世の光」2017.3.3放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■あなたがたは力を得る / 福井 誠

2017年03月02日 | Weblog
2017/3/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたがたは力を得る」です。それではイザヤ章30章15節から読んでみましょう。

 「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。

 このようにイザヤが語った時代、イスラエルという国は巨大帝国アッシリヤに侵略される危機にありました。当然イスラエルは近隣の国々との同盟を強め、アッシリヤに対抗しうる他の強国の助けを求めざるを得なかったのです。実際イスラエルの国は北から攻めて来るアッシリヤに対して、南の大国エジプトの助けを得ようと使者を遣わしています。

 30章には、使者が遣わされたエジプトの地名が出てきますね。ツォアンはナイル川が海に注ぐ沿岸近くの古代都市でした。また、ハメスというのはそのナイル川をずっと奥まで遡った、当時のエジプトの中心となった都市です。つまり南ユダの指導者たちはアッシリヤの脅威に怯え、危機を回避しようとして貢ぎ物の財宝を乗せてエジプトの奥深く中部にまで大変な旅をして保護を求めたのです。

 しかしイザヤは、そんな苦労も水の泡、何の役にも立たない、と断言します。交渉の成立を導くのは神次第である。どんな努力も神を無視しては実を結ばないばかりか恥となりそしりとなる、と言うのです。

 そして言います。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。
 つまりどんなことより先に、あなたを守りあなたを正してくれる神を認めよ、これに尽きるのだ、と言うのです。

 神は私たちが叫び声をあげると必ず恵み、応えてくださる方です。また確実に導きを与えてくださるお方です。人は目先の脅威に、どうしても具体的な何かに頼らざるを得ない気持ちになるのですが、神が助けてくださるとは言っても見えないものはあてにはならない、そう思ってしまうのが私たちの現実です。しかしもしあなたが、人生においてなす術尽きた思いでいるのなら、神のことばに心を留めてみてはどうでしょうか。すべての事柄を支配しておられる神を信じ、信頼する。これがまず物事の順序だと心得たいものです。
(PBA制作「世の光」2017.3.2放送でのお話より )

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■急がば回れ / 板倉邦雄

2017年03月01日 | Weblog
2017/3/1放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「急がば回れ」という題でお話ししましょう。西洋のことわざにも、「一番長い回り道は一番の近道」とあります。

 さてモーセはカデシュの宿営地からエドムの王様に使者を遣わすことにしました。エドムと言えばイスラエル -ヤコブ- の兄のエサウの領地でした。モーセに遣わされた使者はエドムの王様にモーセのことばを伝えました。
 「あなたの兄弟イスラエルはこう申しています。あなたはイスラエルの先祖がエジプトへ下って行き、400年の年、久しくエジプトに住んでいたのを知っているでしょう。しかしエジプト人が私たちの先祖たちを苦しめ悩ましました。そこで主なる神様に呼び求めますと主なる神様は私たちの声を聞き、一人の天の使いを遣わして私たちをエジプトから導き出してくださいました。私たちは今王様、あなたの領地の隅にあるカデシュの町におります。そこでお願いがあります。どうか私たちにあなたの国を通らせていただきたいのです。私たちは畑やぶどう畑を通りません。また井戸の水も飲めません。ただ王の大路だけを通り、あなたの領地を過ぎ去るまでは右にも左にも曲がりません。」(民数記 20章14節~17節参照)

 ところがエドムの王様はモーセに答えました。
 「あなたは私の領地を通ってはなりません。もし通るなら私は軍隊を用意してあなたに立ち向かうでしょう。」

 それでもイスラエルの人々は食い下がりました。
 「私たちは大路を通ります。もし私たちの家畜があなたの水を飲んだら代金を払います。」

 しかしエドムの王様は聞き入れてくれません。むしろ境界線に強力な軍隊を配置したのです。仕方なくモーセとイスラエルの人々は回り道をして旅を続けることにしました。無用な争いや戦いを避けたのです。

 血を分けた肉親や兄弟姉妹であれば、道を通らせてくれても良いでしょう。水を飲んだら代金も払う、と提案しているのですから。争いや戦いは全く赤の他人とではなく、むしろ身近な親しい間で起こるものです。

 聖書のことばです。
 「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。」 
             ローマ人への手紙 12章18節
 
  (PBA制作「世の光」2017.3.1放送でのお話より )

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