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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のわざが現れるため 11 / 大嶋重徳

2014年11月18日 | Weblog
2014/11/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 ヨハネの福音書9章には生まれつき目の見えない青年がイエス様と出会い、目が見えるようになった、という出来事が記されています。しかし、イエス様によって目が見えるようにされたという彼を、イエス様を嫌う律法学者たちは町から彼を追い出してしまいました。更にショックなことは、自分の家族も自分のことを見捨ててしまったのです。余りにも残酷な状況が彼の人生に襲い掛かりました。

 しかしそんな彼をイエス様は見つけ出して言われます。「あなたは人の子を信じますか?」 「人の子」とは旧約聖書ダニエル書でも語られる「苦難のしもべ」、人の苦しみを通りその苦しみの意味を誰よりも理解される神、という意味です。

 すると彼は言います。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」(ヨハネ 9章36節) 「主よ、信じることができますように。」 このことばは彼の祈りです。イエス様は、「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」(ヨハネ 9章37節)  彼は言います。「『主よ。私は信じます。』 そして彼はイエスを拝した。」(ヨハネ 9章38節) とあります。

 この「拝した」ということばは「膝まづいた」という意味です。それは自分の人生の解釈を神の前に置いたということです。神様を信じて生きるとは自分の人生の解釈を神様の眼差しから見つめるということを選び取ることです。彼は彼の人生に起こった親から見捨てられると言うこともこの時彼の人生で神様の前に置いたのでしょう。私たちは信仰を持つ時、神様の深い計画で私たちの家族を見ることができるのです。私たちの親の人生を神の眼差しから見つめるのです。親の犯しやすい罪を神の赦しの眼差しから見ていくのです。また私たちの子どもの人生も見下さずに生きるようになります。自分の人生で他の人によって引き起こされた苦しみも自分の怒りの解釈からだけではなく神様の目から見る目線が育てられていきます。神様がいよいよあなたに見せようと願っておられるものがあります。その事柄を神の前に膝まづいて信仰の目を開いて見つめたいと思うのです。信仰を持つとは、神の眼差しの元に自分の人生を置いていくと言うことに他なりません

  ( PBA制作「世の光」2014.11.18放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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