goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■災いの中で ヨブの信仰告白 / 羽鳥頼和

2011年09月24日 | Weblog
2011/9/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。
 悪いことをしていないのに突然の災害や不幸に遭う、という不条理としか思えないことは私たちにとって大きな問題ではないでしょうか。そんな突然の災難に出会った人が聖書に登場します。それがヨブという人です。

 彼はお金持ちで、10人の子供に恵まれていました。そして、彼は信仰深く悪いことはしてなかった、と聖書は記しています。そんなヨブに災難が降りかかりました。彼の持っている牧場が外国人に襲われて家畜が奪われたり殺されてしまいました。それだけではありません。彼の最愛の子供たちが全員大風によって倒れた家の下敷きになって死んでしまったのです。余りにも突然の悲劇にヨブは悲しみながら地にひれ伏して神様に祈りました。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」 (ヨブ記 1章21節)

 このことばにヨブの信仰が表わされています。ヨブはこんな悲惨な目に遭いながら神様のこと覚えながら考えたのです。

 自分が生まれた時、自分は裸だったのだから、また裸になっても何の不思議もない。自分はもともと何も持っていないのだから。自分の持っているものは財産も子供たちも全部神様が与えてくださったものだ。すべては神様のものなのだから神様がそれを取られることもあるのだ。神様こそ私の大切なお方。私は神様を賛美します。

 ヨブはそのように考えて神に愚痴をこぼしませんでした。悲しみの中でヨブはなぜこのように言う事ができたのでしょうか。

 ヨブは神様がすべてのものを与えてくださるお方であることを知っていました。それだけでなく神様こそまことの主権、権威、権力を持っておられる絶対なるお方であることを認めていたのです。それで「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記 1章21節)と言うことができたのです。

 この後もヨブは様々な試練を受けることになります。立派な信仰を持っていたヨブも落胆してしまいます。しかし神様はヨブを見捨てず、神様のことを教え、彼を救ってくださいました。そのようにしてヨブはもっと神様を知ることになるのです。

 まことの神様を知るために、あなたもぜひキリスト教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.9.24放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***





この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■あなたの存在を愛される方 ... | トップ | ■患難が希望を / 関根弘興 »