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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書-56 / 大嶋重徳

2021年09月01日 | Weblog

2021.3.17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 イエス様がバプテスマを受けられた時のことがルカ福音書3章に記されています。洗礼にはどんな意味があるのでしょうか。洗礼はまず古い人が死に新しい人が生まれることの表れだと聖書には記されています。洗礼を意味する「バプテスマ」とは「沈める」「浸す」という意味があります。古い自分が水に沈んで、そして水から上がってくるときに、新しい自分が生まれてくることを表しているのです。

 ある人は洗礼の意味をこう語りました。「洗礼は私たちの古い人間が日毎の悔い改めによって溺れさせられ、全ての罪と悪い欲に死んで、逆に日毎にそこから出て新しい人として復活し、神の前の義ときよさの内に永遠に生きるようになるということなんだ。」と言ったのです。

 洗礼で頭の上へと注ぎかけられたあの水の中で私たちは溺れ死ぬということなのです。
 私たちは、人生をどこかでやり直したい、という気持ちになることがあります。しかし年を重ねるにつれ、そんなことは無理だと実感し、諦めの中に身を沈めていきます。所詮自分なんて変われないのだ、と諦めるしかない。しかしこの変われない、という諦めが自分だけではなく社会を世界を悪くしています。うちの家族は変われない、うちの会社も変われない、自分の人生などもう変われない、この国は変われない。

 しかし聖書は、変われる、というのです。洗礼は、新しくやり直すことができる、ああここからやり直せるという場所をあなたの人生に持つことができる時となるのです。

 洗礼は古い自分が死んだだけではありません。新しい自分が生まれることだ、と聖書は語ります。

 しかし自分の力で新しい人生をやり直すのかと言うと、これからはイエス様が一緒にいてくださる。洗礼を受けた自分は新しくイエス様と共に生きることなのです。

 クリスチャンになるとは、古い自分が死ぬ、しかし新しい自分がみことばから命を得て新しくされていく生活のルーティンが始まっていくのです。

 イエス様もバプテスマをお受けになって、そして祈っておられると、天が開け、声が聞こえてきました。神様の声です。「あなたはわたしの愛する子」(ルカ福音書 3章22節 )

 この祈りとみことばの生活があなたを支えてくださるのです。

     ( PBA制作「世の光」2021.3.17放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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