♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して67年の
「世の光」を文字で 

■イエスだけであった / 関根弘興

2019年07月05日 | Weblog
2019/5/31放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様の生涯を記した福音書の中に、イエス様がペテロとヨハネとヤコブの三人を連れて高い山に登られた出来事が書かれています。山に着くと弟子たちは疲れていたのでしょう、眠気を催してうとうとし始めてしまいました。その時でした。何と白く光り輝く栄光の姿に変貌したイエス様の姿を見たのです。そして更に驚いたことにその場所に、あの旧約聖書で有名なモーセとエリヤが現れ、イエス様と話合っていたというのですねえ。素晴らしい光景を見ていた弟子たちでしたが、雲が沸き起こって、雲の中から「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」という父なる神様の声がしたのです。そしてこの声がした時、そこに見えたのはイエスだけであった、と記されています。

 実はこれはとても象徴的なことばなんです。私たちは特別な経験も神秘的な場所も必要ありません。イエス様がそこにいてくださるならそれで十分だ、ということを聖書は私たちに教えているんですね。

 パウロという人が記した手紙、第二コリント12章9節に、イエス様がパウロに「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さの内に完全に現れるからである。」と言われたことが書かれています。このことばはリビングバイブルという聖書の訳では、「わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。」というに訳されています。イエス様が私たちと共にいる、それで十分ではないか、という訳ですねえ。なぜならイエス様のうちに神様の栄光が、そして愛が、力が、恵みが、そして真実が満ち溢れているからです。

 イエス様はご自分の方から私たち一人ひとりのもとに来てくださいました。山の上の特別な経験も、ま、時にはあるかもしれませんが、大切なのは日常生活の中に私たちがどこにいてもいつもイエス様が共にてくださるというその約束に生きていくということなんですね。わたしは山に登るような経験が人生の中には、ま、何度かあるかもしれません。でもどうでしょうね、99%は日常の場で過ごしています。そうした中で疑問の湧くこともあるし、弱さを覚えて落ち込むこともあるでしょう。問題も起こります。しかし今日ぜひ知っていただきたいんです。そこに見えたのはイエスだけであったという、そのことばを心に刻んでいただきたいんですね。イエス様がそこにてくださるのなら大丈夫だからです。
     (PBA制作「世の光」2019.5.31放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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