♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■真(まこと)のいのちを内に宿して / 水谷 潔

2024年11月19日 | Weblog

2024/08/13放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。 

 「生ける屍」「魂の抜け殻」。日本語にはそんな表現があります。呼吸はしています。心臓も動いています。でも死んだような状態ということでしょう。これらの表現は、人間には肉体的ないのちとは別に、もっと本質的ないのちがあることを暗示しているようです。

 実は聖書が記す「いのち」にも同じような面があります。新約聖書はギリシャ語で書かれているのですが、「いのち」ということばには主に二通りあります。一つは「プシュケー」ということばです。神様から与えられた肉体と魂の両方を含む、ま、一般的ないのちです。もう一つは、「ゾーエー」ということばです。神様との関係にある「まことのいのち」を意味します。言い換えれば、神様から見て生きているいのちです。

 聖書によれば、生まれながらの私たちは神様に背を向けていて、神様にとっては生ける屍、魂の抜け殻のような存在です。しかしイエス・キリストを信じるなら神様との愛の関係が始まります。そうです。イエス様は私たちと神様をつないでくださり、まことのいのちをくださるのです。

 新約聖書ヨハネの福音書11章25節でイエス様はこうおっしゃっています。

 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」。

 このいのちは「ゾーエー」です。神様との関係にあるいのち、そして死によって終わることのない永遠を生きるいのちです。イエス様を信じた人は、この地上から死の向こう側にまで、このみことのいのちを生きるのです。

 昔、あるキリスト教の伝道者が、まことのいのちを得るとどうなるかをこう表現しました。「イエス様を信じるなら、電信柱に花が咲き、焼いた魚が躍り出す」 昔の電柱は木の幹でできていました。しかし一旦電柱になれば、もういのちはありません。焼き魚も同じです。しかしイエス様を信じるなら、その人の内側には、花を咲かせ踊り出させるようないのちが始まります。

 イエス様はおっしゃいました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」。

 たとえあなたが今、生ける屍、魂の抜け殻のようであったとしても、イエス様を信じるなら、神様はあなたをいのちで満たしてくだします。生き生きとした新しい歩みを始めさせてくださいます。


 ( PBA制作「世の光」 2024.8.13放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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