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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■yono202■ヨナ書 4章 大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか / 福井 誠

2021年05月28日 | Weblog

2020/12/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨナ書4章11節から「おおきな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」

 昨日の続きヨナ書最後の章を見て行きます。ヨナの宣教によりニネベの人々は悔い改め、結局ニネベは滅ぼされずに済みました。神は災いを思い直されたのです。そこでヨナは神と共に「良かったね」と喜ぶのかと思いきや、そうではありませんでした。 ヨナの心は複雑だったのです。

 というのも、悔い改めによって滅びを免れたアッシリアはいずれイスラエルの脅威となることは大いに予測されることでした。また警告した通りの事が起こらないというのは何とも面子に関わることだったのかもしれませんね。ともあれヨナは神に抗議し、ニネベがどうなるのか様子を窺い始めました。

 折しも、燦々と照りつけるパレスチナの太陽にいささか不愉快な思いを募らせていると、そこに神がトウゴマを備えて日陰を作られヨナの不機嫌を直そうとした、とあります。ヨナもうっかり神の手に乗っかって、「おっ、これから何か起こるのか?」と期待を募らせたようですね。

 しかし何も起こらずに一日が終わり、翌日そのトウゴマも枯れてしまいました。ヨナの怒りが絶頂に達した時に神が大切なことを語られます。人間というものは自分で労さず育てもしないものが失われるとそれを惜しむ。しかし、神は自分で労し育てたものを惜しんでいるのだ、と言うのです。 人は単純に損得の世界で生きているものです。しかし神は愛情の世界で生きているのです。ですから、1章のメッセージに戻りますが、神はだれひとり滅びることを望まれないし、悔い改める者をすべて受け入れ救われようとするのです。神は愛なのですね。自己中心な人間はなかなかこのような神の愛に到達できません。しかしこのような神の愛こそ人間の社会には必要とされているのです。

 では良き一日を祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2020.12.4放送でのお話しより )

 

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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