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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■信ずべきもの / 福井 誠

2014年11月20日 | Weblog
2014/11/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「信ずべきもの」です。それではヨハネの黙示録22章6節から読んでみましょう。

 御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と言った。

 黙示録最後の章ですね。天の都の様子が描かれています。1節から少しお読みしましょう。

 「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。」 (黙示録 22章1~4節)

 水晶のように光るいのちの水の川。天の都はいのちで溢れている所ですね。もはや呪われるものは何もない。もはや夜はない。そこは全くの別世界です。ヨハネは、これらのことばは信ずべきものであり真実です、と語ります。皆さんは自分の死後を漠然と考えているのではないでしょうか。しかし聖書は死後の世界のイメージをはっきりと示し、これらは信ずべきものであり真実ですと語ります。

 キリスト教の大きな特徴の一つは死後のことは今自分で決めるということですね。仏教の土壌に育った私達はせいぜい自分の墓地をどうするか、自分の墓石をどうするか、そんなことを決めるのが生前の自分にできることではないかと考えているのですね。死後のことは分からない、行ってみたら分るかもしれない、と考えているのではないでしょうか。

 しかし聖書が、死後私たちを迎え入れてくださる方がいる、その方は十字架上で私たちの罪のために苦しみ私たちの罪の赦しを得させ私たちを愛してくださったイエス・キリストなのだ、私たちには生命溢れ呪いもない死もない悲しみ叫び苦しみのない天の都が待っている、それは信ずべきものであり真実だ、と言うのですね。

 死後の運命は今ここで決める。これが聖書の素晴らしいところですね。ぜひお近くの教会へ行って、聖書のこの素晴らしいメッセージを確かめていただきたいと思います。

 
(PBA制作「世の光」2014.11.20放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 
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