2022/6/6放送
「世の光」の時間です。皆さんお元気でしょうか。鶴瀬恵みキリスト教会牧師の堀肇です。
今週は新約聖書の福音書というところに記されていますイエス・キリストのいわゆる「名言」とも言うべきことばを取り上げてみたいと思います。言われてみればどこかで聞いたことがある、というような話なんですね。
今日はマタイの福音書5章3節の「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」ということばです。
このことばは、その人の生きた時代にもよりますが、知っておられる方が案外多いのではないでしょうか。と言いましても、一部分だけが飛び出した形で、「貧しき者は幸いなり」と語れることがよくあります。もしかしたら、ある人たちは昔流行った「名もなく、貧しく、美しく」という映画の題と一緒になっているかもしれませんね。
私の父などは普段は聖書を読んでいた人ではなかったんですが、お金がなくなると「貧しき者は幸いなり」と言って妙な言い逃れをして家族を苦笑させたものです。
さて、「心の貧しい者」とはどういう人のことを言うのでしょうか。これは心のレベルや程度が低いという意味ではありません。ここでいう「貧しさ」というのは分かりやすく言いますと、様々な理由で人生に疲れ、生きていく力が出てこないほど心が無力になっている状態ですね。自分にはより頼むものが一切無い。つまり、心が破産状態にもなっている。そういう貧しさのことを言っているんです。
ではそのような貧しさ・無力さを感じている人がなぜ幸いなのでしょうか。それは、人はそういう状況に置かれますと、神に心を向け、神により頼むようにもされるからなんですね。そういう機会が目の前に与えられていると言っていいでしょうか。だから「幸い」というのです。
イエスは、「天の御国はその人たちのものだからです」とその理由を語られたのです。
確かに心が無力になっている時は辛く、苦しいですね。しかしその時こそ心はイエスが言われたように「天の御国」に向けられる幸いな時だと思うんですね。
貧しさ、無力さを感じたとき、このことをぜひ心に留めていただきたいと思います。
( PBA制作「世の光」 2022.6.6放送でのお話しより )
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