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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■愛のうちに歩む / 関根弘興

2016年09月12日 | Weblog
2016/9/12放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日も聖書のことばを最初に紹介いたしましょう。

 新約聖書エペソ人への手紙5章1節
 「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

 「神にならう」ということの具体的なことの一つは、神様の愛の内に歩むということです。でもどうでしょう、愛の内に歩みなさい、と言われると何だか自分の愛のなさに限界を感じ、いやあやっぱり私は愛がないなと失望したりしてしまうということもありますよね。そこで大切なのは、あなたがまず神様にどれほど愛されているかを知ること、これが大切なんだと聖書は教えるんです。

 エペソ人への手紙の5章の2節というところにはこう書かれています。
 「また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
 こう書かれているんです。

 私たちにとっては「神への捧げ物」とか「供え物」とか「香ばしい香り」ということばはピンとこない、何だか馴染みのないことばだと思います。でもユダヤの社会では違います。エルサレムには神殿があり、そこでは人の罪の身代わりとして動物が犠牲として捧げられていました。でも動物の犠牲では私たちの罪を完全に贖うことができません。

 しかし罪のないイエス・キリストが私たちの罪をすべて背負って十字架についてくださったと聖書は教えていますよね。つまりキリストの私たちへの愛はご自分のいのちを捧げるほどの愛だと言うのです。キリストはそれほどまでに私たちを愛してくださったのは、私たちがキリストを愛し、従っていたからでしょうか? そうではないですね。

 ローマ人への手紙5章8節には、
 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
 と書かれています。

 なんと私たちが弱く神様に背を受けている罪人であった時に、神様はキリストの十字架を通して私たちへの愛を示してくださったと教えているんですねえ。神様がまず私たちを愛してくださったからこそ、私たちはその愛に支えられ愛に生きることができるんです。「愛のうちに歩みなさい。」 それはキリストがまずあなたを愛してくださったから、そのような歩みが始められるんです。

  (PBA制作「世の光」2016.9.12放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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