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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ ルカの福音書-100  わたしの心だ。きよくなれ / 大嶋重徳

2022年10月22日 | Weblog

2022/5/21放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
ルカ福音書を順番に読んでいます。

 5章に出てくる重い皮膚病を癒やされた人にイエス様は言われました。「祭司のところに行って、自分を見せなさい。そして人々へのあかしのため、あなたのきよめの供え物をしなさい。」

 「祭司のところに行って、自分を見せなさい。」とは、癒やされた宣言をしてもらいなさい、という意味です。祭司が「もうこの人はきよいんだ」という宣言をしたならば、もう誰も彼を「穢れている」とは言ってはいけない。そして、もう「穢れている」と自分で自分のことを言わないで良い宣言を祭司がしてくれる。「あかしのためのきよめの供え物をする」というのは、隠れるように生きていた人生から人前に出ていくことのできる人生の始まりを意味しています。

 聖書に出てくる洗礼を受けるということもこのようなものです。もう私たちは自分の人生を「私は穢れている。穢れている。」と言わなくて良いんです。神さまの側の宣言が注がれたからです。キリストのきよさを身にまとった宣言を受けたからです。新しい人生の始まりがここからあります。神の心とともに生きる人生の始まりです。

 ある時、私が「聖書が語っている結婚を学ぼう」という、そういう夫婦セミナーに参加しました。すると講師の方が、「あなたは天国で何をしていると思いますか? 夫婦で考えなさい。」という質問がされました。すると妻がじーっと考えていた上で、「あなたは天国で子どもたちに絵本を書いているんじゃない? 」と言ってくれたんですね。へーっ、と思いながら「どうして?」って聞くと、「あなたはほっといても考え事をずっとしてるでしょ。何か物語を考えてる気がするの。」 その時ハッっとしました。

 私が小学校の頃、いじめられて一人で帰って来たあの帰り道、空想しながら自分を癒やし、物語を作りながら自分を守ってきました。あの空想の中で培ってきたことばが、今、説教者として人々の心に絵が浮かぶようなことばの選択ができるようになってきたのだと思ったんです。嬉しい思いがしました。

 「わたしの心だ。きよくなれ」 私たちの人生の歪んでしまっているものをイエス様は、イエス様の心に触れさせて、「きよくなれ」と言ってくださる。「このまま汚(けが)れて歪んでいってはいけない。」

 まっすぐに神の心に近づけてくださる神の計画があるのです。イエス様は今日も私たちのために祈ってくださる。「わたしの心だ」と。

 私たちもイエス様に祈っていきたいと思います。


    ( PBA制作「世の光」 2022.5.21放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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