世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。詩篇7篇17節から「私は主をほめたたえます」と題してメッセージをお伝えいたします。
「 私は主をほめたたえます。その義にふさわしく。 いと高き方 主の御名をほめ歌います。」
詩篇7篇の表題には「ベニヤミン人クシュ」とあるのですが、これは一体誰なのか、当時の年代記にその名は見当たらず、正体不明です。しかし恐らく第二サムエル記16章に出てくるシムイのようなベニヤミン族に属する、ダビデに敵対的な者であったのではないかと考えられていますね。つまり詩篇7篇はダビデが根拠のない避難や中傷を受ける中で神の護りと正しい裁きを求めながら、神は全地を裁く方であり、悪は自滅するのだ、という個人的な確信に至ったその信仰的な心境を歌っているものなんです。
ではそのダビデの神との語り合いを見てみましょう。まずダビデは、分別もなく容赦なく責め立ててくる敵に囲まれることは恐ろしい経験であること、そしてその経験の中にあって素直に助けを求めていますね。自分に味方するものが誰一人いない。頼りは目に見えない神だけであるという状況。しかも自分に落ち度があるわけではない。弁明もできない実に惨めな状況の中で、ダビデはヨブのように自分の無実を信じて神に訴えています。苦難に遭って、神も仏もない、と人に噛み付く人もいますが、ダビデはただ神に訴え、神の答えを待ち望んでいます。
しかしただ待ち望んではいませんね。彼はここで神のご性質について深く思い巡らしているのです。彼は、神が私たちを弁護してくださるお方である、と思い巡らしていますね。また10節、盾となってくださるお方、心の直ぐな者を救われるお方、神は公平な裁判官である、と自分に関わってくださった神のご性質についてあれこれ思い返しているのです。ダビデはそのようにして自らの先に明るい見通しと確信を持ち、「主をほめたたえます」と告白していますね。神のご性質をゆっくり思い巡らす、大切にしたい部分です。
では良き一週を祈ります。
(PBA制作「世の光」2019.10.23放送でのお話より )
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