ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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心と身体……仏教から、精神科医から その1

2008-10-22 21:22:07 | 本や言葉の紹介
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
          (↑これをクリックするとホームページに行きます)


 8月、月に一度のボランティアにうかがっているM園で、スタッフのかたが「通っている整体士さんに“心はどこにあるか”と聞かれて困ってしまった」と話していました。答えを尋ねたら、逆に「心ってどこにあると思う?」と聞かれたので、とっさに「自分という存在全ての中に。心は肉体があってこそ」というようなことを答えたのですが、なんか足りないなあと思いました。家に帰ってゆっくり考えたとき、「自分以外の存在があるというのが条件だなあ」と思ったのです。
 うまく言えませんが、「他者という存在があってこそ自分の存在に気がつく。気がつくということにおいて心が動いたということである。つまりそこに心が存在する。そして心も身体も同じもの」というようなことを思ったのです。
 
 さて、質問してくださったかたにその場で、「心については仏教の認識論が大きなヒントになると思っています」とお返事したことがきっかけで、その後は般若心経の「空即是色 色即是空」についての話に発展したのでした。

 十分に知っているわけではなかったので、これは「空即是色 色即是空」の意味について考え直すいいチャンスだと思い、解説書をいくつか読みました。おかげで以前に読んだときとはまた違ったことに気がつけたのですが、いろいろな解釈があるんですよね。

 何となくそのときのもやもやした気持ちが残っていたのか、ちょっと前に「空(くう)という言葉一つを解釈するにも、アビダルマを知っていなければ正確に理解することはできない」というような文章を見つけ、アビダルマについて知りたいと思いました。
 アビダルマとは、「ダルマ(仏陀の説いた真理)についての研究」とか、「ブッダが説いたダルマ=法・真理を解釈し、仕上げられた壮大な思想大系を意味する」といわれているものです。

 関連している本を図書館にリクエストして何冊か読んだのですが、理解できたのは「う~ん、とっても細分化されているのね、哲学なのね」ということぐらいかのう。

 読んだ中で、1975年というちょっと昔に出された『講座 仏教思想 第四巻』の『第二部 心理学 第一章 原始仏教・アビダルマにおける心理学――心識論――」で、仏教では心をどう見ているかについて書いてあるのが印象的でした。
 抜粋してご紹介します。


 仏教は宗教として、現実の苦しみ悩みを解消し、苦しみのない浄楽の状態を得させるための教えである。換言すれば、むさぼり(貪欲)・いかり(瞋恚)・おろかさ(愚痴)などの誤った心ばえとしての煩悩を除いて、悟りという自由の境地に至らしめるものである。ところで、苦悩とか浄楽とか、また貪瞋痴の煩悩とか、悟り(菩提)とかいうものは、全て心に関係したものであるから、仏教は心の問題を主として取り扱うものであることが知られる。
 この意味で、仏教は心理学に深い関連をもっているということができる。しかしここで注意しなければならないことは、仏教は心の動きを、一般の心理学のように、動きそのものとして純粋に研究するものではない。科学としての心理学な実験などによって把握されうる客観的事実のみを取り扱うが、仏教では客観的に実験することの困難な価値の問題を取り扱うことが多い。すなわち心の動きにおける善悪とか迷悟洗浄というような倫理的、宗教的な価値または反価値として見るのである。そこには倫理的、宗教哲学の範囲に属するような要素が入っている。
 さらに仏教では心を心だけとして見るのではなく、これを肉体や外界とも関係させて考察する。仏教によれば、心は心だけで単独に存在するものではなく、心身一如、または心身相関といわれるように、肉体と密接に関係するだけでなく、他の人々や周囲の自然環境とも関連しているとされる。
 このように、心を問題とすれば、倫理・宗教・哲学・整理などの関係し、さらに一般に経験され得ない前世や来世にも及ぶことがある。


 おや、私が「他者という存在があってこそ自分の存在に気がつく。気がつくということにおいて心が動いたということである。つまりそこに心が存在する。そして心も身体も同じもの」と思ったことって、あながちはずれていないではないですか。
 面白いですねえ。ほわんと疑問をもっていると、いつかどこかでお応え・お答えが届くのかも。

 それと、このところ『無量寿経』を読み返したのですが、この抜粋した文章の最初のほうって無量寿経を凝縮したエッセンスみたいだなと感じました。
 無量寿経って、「善きことを思い、実行しなさい」ということを美しく、またくどくがあるからねとそそるように表現しているんだなと思ったので。

(次に続きます)