ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

「とわずがたり」(とはずがたり)の発見が近年だったなんて

2013-08-26 08:08:09 | よもやま話

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 「とわずがたり」は後深草院に仕えた女房二条の14歳(1271年)から49歳(1306年)ごろまでの日記。境遇、後深草院や恋人たちとの関係、宮中行事、尼になってから出かけた諸国遍歴の記録などが綴られている。
 この本は、宮内庁書陵部所蔵の桂宮家蔵書に含まれていた桂宮本(後代―江戸時代前期の写本)5冊のみ現存するそうで、1940年(昭和15年)山岸徳平氏によって紹介されるまでは、その存在を知る者が少なく、天下の孤本といわれる。書陵部(当時は図書寮)で『とはずがたり』を見出した山岸氏は、『蜻蛉日記』にも対等すると直感し、「国語と国文学」9月号で「とはずがたり覚書」として紹介した。一般への全文公開は昭和25(1950)年の桂宮本叢書第15巻が初である。
 それを瀬戸内晴美(現・瀬戸内寂聴)さんが昭和45(1970)年にほとんど現代語訳に近い小説にして発表。
 瀬戸内さんいわく、「私の50歳の出家への直接の火つけ役は、『とわずがたり』であったかもしれない」。
 

 だそうなのよ。びっくりしたー。
 「とわずがたり」なんかは古典中の古典として早くから読まれていたと思いこんでた。
 やっぱり後深草院や上級貴族たちの乱脈さがあからさまにかかれていることが“はばかり多し”で一般の目に触れさせないようにしていたのかなあ。瀬戸内寂聴さんの小説が「とわずがたり」が一般に知られるきっかけになったのねえ。