花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

呉服町商店街

2018年07月21日 | レモン色の町

戦後、最も賑わったのが諏訪新道商店街だった。その南に並行して通る呉服町商店街も衣料品関係の店舗がずらりと並んで賑わいをみせていた。

その南に建っていたのが、四日市日活劇場と宝塚劇場だ。昭和31年、四日市日活(旧ラジオ劇場)の西隣に松竹劇場が出来た。四日市松竹では「喜びも悲しみも幾歳月」「彼岸花」「笛吹川」「人間の條件」等の名作が上映されたが、昭和40年洋画専門の宝塚劇場となる。

樹林社刊 写真集「四日市市の今昔」より

戦前呉服町は、諏訪駅と市役所や高等女学校(沖ノ島方面)への連絡通路があった程度で、多くの商店が並んでいるわけではなかった。昭和5年のマップ。

 

岡野繁松先生が描かれた、昭和10年代の諏訪駅から女学校への通路の様子。旧東海道沿いの金谷染料と嶋口屋の狭い路地を東へ向かう。矢田仏壇様は、大体現在地になるか。

 

当店から路地を抜け、1号線に出て、電気屋の街頭テレビを横目に車の合間を縫って渡ると呉服町だった。商店街が出来た当初は東へ抜けてなくて行き止まりだったと聞いたことがある。戦後、衣料品の店が集まって呉服町が形成されていったのだ。昭和43年の配置図。左に1号線。

 

これは、四日市諏訪商店街振興組合理事長の外羽さんの店頭。昭和30年代、各商店街では、ティッシュで花を折り、様々な人形を作った。

人形は、みなしごハッチ。(昭和45年よりフジテレビ系で放送開始)紳士服トバさんは、昭和43年以降,ユキ美容室さん跡あたりにお店を出された。



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