越中高岡(現:富山県高岡市)は銅器の製造が盛んで、幕末明治期は輸出品として華やかな作品が次々と生み出されました。
伏木港が望める店舗とも工房とも判断し難い場で、若い職人が金槌と鏨(たがね)を手にして大きな龍の花瓶に取り組んでいますが、これは博覧会出品を控えたものでしょう。
内国勧業博覧会のような殖産興業を目的とする博覧会に高岡銅器は次々と出品、優れた技術と華やかさから、瞬く間に博覧会を席巻することとなりました。
武人文様彫金大香炉 68cm
高岡で活躍した二代目横山彌左衛門は、第1回内国勧業博覧会出品の『武人文様彫金大香炉』で鳳紋賞牌を受けました(高さ68cm)。東京国立博物館蔵『明治十年内国勧業博覧会列品写真帖』より
頼光大江山入図大花瓶 127cm
ところで、高岡銅器の評価は世界でも既に高く、明治5年のウィーン万国博覧会で二代目横山彌左衛門は高さ127cmの『頼光大江山入図大花瓶』で進歩賞を受けています。これらの作品を見ていると、明治初期の高岡銅器華やかし頃が偲ばれます。
昔から高岡には鋳物工場がたくさんあって、仏具製品の鋳造が盛んでした。リンゴの木箱に藁(わら)で巻いた花立などが送られてきて、木箱は割って風呂の焚き付けに使われ、藁は焚火にしました。出来上がった焼きいもは楽しみでした。藁やむしろの燃える様(さま)が眼に浮かびます。
さて、さて、日本の浮世絵は、来日の外国人に見いだされ世界に広められました。そのきっかけになったヒントが、この『大日本物産図絵』の中にありました。
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