下総の国 野田(現:千葉県野田市)では、利根川と江戸川に囲まれた水運を生かし、大豆や塩を入荷して作り上げた醤油を一大消費地の江戸へ出荷しました。
大日本物産図絵より
醤油は葛飾郡野田 海上銚子等より出すこと夥(おびただ)しい 小麦を炒り 大豆に和して麹(こうじ)をつくり 塩を和して大桶に入れて 熟せしとき 布の袋につつみて〆器に入れて搾り 樽に詰めて諸国に出す 就中 野田のキッコーマン印は 上品にして八升六合入りを一樽と定む
亀甲紋に万の文字 キッコーマン醤油の歴史は古く、江戸時代初期からつくられていました。
江戸見物をしているような 楽しい本でした 図書館蔵
こうしてみると、なんと多くの物産品が国内で産出されていたことでしょうか。明治10年といえば、世間はまだまだ江戸時代。自給自足から輸出に目覚めたばかりでした。
東海道筋だけでも、伊賀の磨き砂・石炭、伊勢のあわび・熨斗あわび、尾張の扇・染物、三河の砥石・漆、駿河の竹細工・半紙、甲斐のブドウ・柿・干し柿、伊豆の椿油・炭、武蔵の錦絵・海苔、安房の水仙花・秋刀魚、上総の鰯・建干網漁、下総のすいか・醤油、常陸の養蚕・鯉などがつくられていました。
四日市のながもちや桑名の焼蛤はどうなんでしょうね。
なが餅や焼き蛤は 産品と言えるのかなあ
それらの土地の名前には番号が付され、1番が初富。2番が二和。3番は?忘れちゃった😅。4番が豊四季。5番が五香。6番が六実。
因みに、私が今住んでいるところは11番目で十余一と呼ばれ、公園の名前に残っています。
落花生を使ったお菓子もあるようです。