昭和29年春、母親に手を引かれて諏訪公園西の四日市幼稚園に入園する。この年、急増する園児数に対応しきれなくなり5歳、6歳の二年保育は廃止となった。既に、前年の入園者数は415名。飽和状態だった。
右端が担任の先生。左端が園長先生
この時の入園者数は約40名。前年からの繰り延べ組がいたから、数に制限があったのかもしれない。幼稚園から狭き門であった。
弁当籠を下げて登園する園児 昭和34年5月21日 辻 俊文氏撮影
翌日から青い色の竹かごに弁当を入れて登園する。冬場はそれをストーブで温める。弁当の時間になると忘れ難い臭気が部屋中に充満した。
優しい先生であった。キンダーブックの絵本を読み聞かせてくれたり、ピーターと狼のレコードをかけたりしてくれた。
秋は海山道神社へどんぐり拾いに出かけた。持って帰って“やじろべい”を作った。そのほとんどがうまく出来ずにゴミと化した。
卒園式を控えて浦島太郎の劇をする。浦島太郎に抜擢された私は腰蓑をつけて玉手箱を開ける。玉手箱の中にはお面が入っていて、口にくわえて顔を上げると老人になるという趣向だった。この腰蓑が嫌で数人の先生を困らせた。
卒園式の日、担任の優しい先生は涙を流してピアノを弾いた。涙の意味が分からなかった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます