平成23年発行の写真集“四日市の昭和”樹林舎刊 に、慈善橋南の“市”の写真が掲載されていました。
「ばあちゃん!なんか買うてくれぇ!」
四日市市は東海道の宿場町として栄えた歴史を持ち毎月4日に「市(いち)」が開かれたことが市の名称の由来となっている。平成23年当時、市内には17も「市」があり、慈善橋卸売場は、四日市の朝市では店舗数が一番多く70店舗以上として知られている。(昭和33年 辻俊文氏撮影)
「此のところの、物価高には ついてけやんなぁ」
「市(いち)」は庶民の台所を支え、同時に意見交換の場であった。気心の知れたものが集まり、あちこちで井戸端会議が始まる、そんな、のどかな光景が懐かしい。(昭和30年初め 中西秀男氏撮影)
諏訪町にあった「こうせつ」が、商工会議所の裏にあったのか?市民ホールの西にあったのか?記憶がアマイでゴザイマス。お袋はあまり調理が好きでなかったのに、足しげく通ったのは、おしゃべりが楽しかったのかもしれません。その情報交換の様子を、退屈そうに下から見上げていた わたくしでゴザイマシタ。